あるアメリカ人が高校での英語教師としての任期が終わり、日本を離れる前に四国に旅をした。日本の「田舎」といわれるところを旅してアメリカに帰りたいという彼の願いを実現するため、日本人の友人の勧めで【ア】旅行先を四国に選んで1週間の旅をしたそうだ。帰ってきた彼は目を輝かして「日本を離れる前に本当に【イ】国際人だな、と思う日本人に会えましたよ」と真剣な顔で話し始めたのである。彼は旅の最後の日、本州に戻る小さな船に乗るため、ある漁村で港に行くバスを待っていたそうだ。バス停みたいな標識が立っているところでバスが来るのを待つことにしたが、どっち側のバス停で待つか分からず、困っていたそうだ。すると、1人の年老いた女性がバス停にやってきて、バスを待つ様子で横に並んだ。そこで片言(只言片语)の日本語で「すみません、港に行くのはどっち側のバス停で待てばいいんですか」と尋ねた【ウ】。「あっち側だよ」と指差してくれて「さっき出たばかりなので、もうしばらく来ないよ」と方言混じりの分かりにくい日本語で教えてくれたそうだ。そして、そのおばあさんは、「どこから来たのかね」と聞くので「横浜です」と答えると、「四国の旅行は楽しかったかね」と話し始め、約15分ぐらいいろいろな話をしたそうだ。そのアメリカ人の日本語は【エ】ほめても上手とは言えないものだが、そのおばあさんは1度も「日本語がしゃべれるのか」と驚いた言葉も出さなかったし、そういう表情もなかったというのである。会話の中で「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」など、必ずといってよいほど聞かれ続けた質問は一切なく、明らかに西洋人であると分かるのに、淡々として「どこから?」という問いに【オ】「横浜から」という答えにも驚かず、まったく1人の人間として受け入れてくれたことは信じられないほどの驚きだったというのであった。文中の【イ】の「国際人」とはだれか()。A、四国のたびを終えて東京に帰ってきた「彼」。B、四国の漁村でバスを待っていたおばあさん。C、外国人に「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」と質問する人。D、「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」とよく質問される人。

あるアメリカ人が高校での英語教師としての任期が終わり、日本を離れる前に四国に旅をした。 日本の「田舎」といわれるところを旅してアメリカに帰りたいという彼の願いを実現するため、日本人の友人の勧めで【ア】旅行先を四国に選んで1週間の旅をしたそうだ。帰ってきた彼は目を輝かして「日本を離れる前に本当に【イ】国際人だな、と思う日本人に会えましたよ」と真剣な顔で話し始めたのである。 彼は旅の最後の日、本州に戻る小さな船に乗るため、ある漁村で港に行くバスを待っていたそうだ。バス停みたいな標識が立っているところでバスが来るのを待つことにしたが、どっち側のバス停で待つか分からず、困っていたそうだ。すると、1人の年老いた女性がバス停にやってきて、バスを待つ様子で横に並んだ。 そこで片言(只言片语)の日本語で「すみません、港に行くのはどっち側のバス停で待てばいいんですか」と尋ねた【ウ】。「あっち側だよ」と指差してくれて「さっき出たばかりなので、もうしばらく来ないよ」と方言混じりの分かりにくい日本語で教えてくれたそうだ。そして、そのおばあさんは、「どこから来たのかね」と聞くので「横浜です」と答えると、「四国の旅行は楽しかったかね」と話し始め、約15分ぐらいいろいろな話をしたそうだ。 そのアメリカ人の日本語は【エ】ほめても上手とは言えないものだが、そのおばあさんは1度も「日本語がしゃべれるのか」と驚いた言葉も出さなかったし、そういう表情もなかったというのである。 会話の中で「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」など、必ずといってよいほど聞かれ続けた質問は一切なく、明らかに西洋人であると分かるのに、淡々として「どこから?」という問いに【オ】「横浜から」という答えにも驚かず、まったく1人の人間として受け入れてくれたことは信じられないほどの驚きだったというのであった。文中の【イ】の「国際人」とはだれか()。

  • A、四国のたびを終えて東京に帰ってきた「彼」。
  • B、四国の漁村でバスを待っていたおばあさん。
  • C、外国人に「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」と質問する人。
  • D、「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」とよく質問される人。

相关考题:

同じ日本の言葉でも、その土地、その土地(ア)ずいぶん違います。このようにその土地で(イ)使われない言葉のことを「方言」と言います。方言にはその土地の特色がよく現れていて、その地方で育ったひとには懐かしい思い出になります。しかし、同じ日本人(ウ)、手紙をもらっても、会って話しても、意味がわからければ困ります。全国の人がお互いに分かる言葉を(エ)、進歩した今の社会では不便で困ります。日本全国の人が分かる言葉、(オ)それを「共通語」と言います。テレビのアナウンサーが話す言葉や、新聞や教科書の文章の言葉は共通語です。共通語はだいたい東京やその近くで使われている言葉ですが、東京以外の地方に住んでいて、いつも方言で話している人でも、必要があれば、共通語で話ができるようにしなければなりません。文中の(ア)に入れるのに最も適当なものはどれか()。A、でB、はC、がD、に

アメリカ人と話しているとき、自分の英語が()と不安になることがある。A、上手ではないかB、下手ではないC、上手なのではないかD、下手なのではないか

「文化」というと、すぐ芸術、美術、文学、学術といったものを頭に思い浮かべる人が多い。農産物や農業などは「文化圏」の外の存在として認識される。(ア)文化という外国語のもとは、英語の「カルチャー(culture)」の訳語である。この語のもとの意味は、また「耕す」ことである。地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。これが日本語にらると、すべて「心を耕す」方面ばかり考えられて、初めの意味がきれいに忘れられて、枝先の花である芸術や学問の意味が重視されてしまった。しかし、根を忘れて花だけを見ている文化観は、根なし草に等しい。文化の(イ)が耕すことであるというと認識は、西欧の学界が数百年にわたり、世界各地の社会に接触し調査した結果、あるいは書斎における思索などを総合した結論した調査、あるいは考古学。文中に「根を忘れる」とあるが、その「根」の指すものはどれが()。A、文化圏B、文化C、英語D、農耕

喫茶店の窓越しに見える仲のよさそうな女子高校生2人。その2人を見ていると、アレアレ不思議な現象が・・・。1人がテーブルに両肘をつけばもう1人も、1人がコーヒーカップを持てばもう1人も、というぐあいに2人の動作が似てくるではないか。こんな光景を目撃した経験はないだろうか?わざわざマネ(模仿)をしているわけでもないのに、会話に熱中してくると知らず知らずに相手と同じポーズをとってしまうことを、心理学では「姿勢反響」と呼ぶ。なぜこうした反応が起こるかと言えば、社会的地位が同じであるということを確認しているのである。(ア)、同じようなくつろぎ(放松)や緊張のポーズをとることで、「わたしはあなたとまったく同じですよ」と示しているのだ。それを受け取った相手は無意識のうちに気分がよくなり、さらに会話も弾む(说得起劲)のである。文中の「アレアレ」が意味しているのはどれか()A、おどろいた。B、うれしく思った。C、がっかりした。D、不愉快に思った。

この小説の第1巻は、主人公がパリを離れるところ()終わっている。A、までB、にC、でD、が

これは、日本のある町で実際に起こったことである。サラリーマンA.氏は宝くじ(彩票)で800万円という大金を得た。「これで、欲しかった高級車が買えるぞ。」A.氏はうれしくてたまらなかった。「しかし、妻に知られたら、『そんなものは買わないで、家に借金に使いなさい』と言われるにちがいない。」と考えたA.氏は、100万円ずつ束にしたその現金を、そっと家に持ち帰り、シーツ(床单)に包んで隠しておいたのである。(ア)、これが思わぬ結果を招いた。翌日、天気がともていいのを見て、妻はシーツを洗濯したのである。あの現金の束が入っていることも知らずに。洗濯が終わって、洗濯機から取り出したシーツの中から現金の束が現れた。びっくりした妻は、それをマンションのベランダに干しておいた。A.氏は2歳の娘はベランダからいろいろなものを道路の落として遊ぶのが大好きだ。夕方になり、妻はベランダの現金が無くなっていることに気づいた。そこへ、A.氏が仕事から帰ってきた。妻から話を聞いて慌てて道路を探したが、後の祭り。おそらく道路を通りかかった誰かが拾って持ち去ったのであろう。A.氏が妻にひどく叱られたことは言うまでもない。文中の(ア)に入れるものはどれか()。A、そしてB、それからC、ところがD、ところで

「文化」というと、すぐ芸術、美術、文学、学術といったものを頭に思い浮かべる人が多い。農産物や農業などは「文化圏」の外の存在として認識される。(ア)文化という外国語のもとは、英語の「カルチャー(culture)」の訳語である。この語のもとの意味は、また「耕す」ことである。地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。これが日本語にらると、すべて「心を耕す」方面ばかり考えられて、初めの意味がきれいに忘れられて、枝先の花である芸術や学問の意味が重視されてしまった。しかし、根を忘れて花だけを見ている文化観は、根なし草に等しい。文化の(イ)が耕すことであるというと認識は、西欧の学界が数百年にわたり、世界各地の社会に接触し調査した結果、あるいは書斎における思索などを総合した結論した調査、あるいは考古学。この文章では、文化に対する知識として、正しくないものはどれか()。A、文化とは主として文学や芸術などを指すべきものだ。B、文化は「地を耕す」と「心を耕す」という2つの点から考えるべきだ。C、文化と農業は深い関係があるものだ。D、文化は農業から発展してきたものだ。

日本人の奥さんをもらって、中国の料理を食べて、アメリカの家に住む。これが男の幸せの()だといわれたことがある。A、最大B、極みC、最高D、至り

アメリカ人といっても、皆が必ずしも英語を話す()。A、わけではないB、はずがないC、わけがないD、にきまっている

「文化」というと、すぐ芸術、美術、文学、学術といったものを頭に思い浮かべる人が多い。農産物や農業などは「文化圏」の外の存在として認識される。(ア)文化という外国語のもとは、英語の「カルチャー(culture)」の訳語である。この語のもとの意味は、また「耕す」ことである。地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。これが日本語にらると、すべて「心を耕す」方面ばかり考えられて、初めの意味がきれいに忘れられて、枝先の花である芸術や学問の意味が重視されてしまった。しかし、根を忘れて花だけを見ている文化観は、根なし草に等しい。文化の(イ)が耕すことであるというと認識は、西欧の学界が数百年にわたり、世界各地の社会に接触し調査した結果、あるいは書斎における思索などを総合した結論した調査、あるいは考古学。文中の「初めの意味」はどれが()。A、地を耕すことB、心を耕すことC、書斎における思索D、芸術、学術といったもの

最近では、釣りそのものを楽しんで、釣った魚を湖や川に逃がしてやるという釣り方が広まってきた。これはキャッチ.アンド.リリースといわれ、()ではごく一般的な釣り方だ。A、中国B、インドC、欧米D、アフリカ

日本人の話は最後まで言わないで、終りが不完全なまま終わってしまう()。A、ことがないB、ものがないC、ことがよくあるD、ものがよくある

单选题この小説の第1巻は、主人公がパリを離れるところ()終わっている。AまでBにCでDが

问答题本郷から少し離れて、想像を自由にさせたい。 明治後の東京が異常な憧憬を地方からうけてしまったことについてである。 当時の英国の田園に住む紳士階級にとって、首都のロンドンは単に、金融や商工業、あるいは政治をするためのいわばビジネスの機能であるにとどまり、特別な尊敬の対象ではなかったはずであった。むろん、「私はロンドンっ子です」といったところで、自慢のたねにはならなかった。 アメリカもそうらしい。アメリカのある日本学者がいった。「日本人の不思議は、田舎を一段下にみることですね。アメリカ人はニューヨークに住むよりも、田園に住みたがります。日本人の場合、ひょっとすると逆ではないでしょうか」

单选题アメリカ人の家の居間について、正しくないのはどれか。A日本の茶の間にあたる。Bふつう食事をするところである。C客を招待するところである。Dそこによくテレビが置いてある。

单选题「教育とは本来そういうもんなんです」とあるが、筆者はどのようなものと考えているか。A教育は有用な知識や技術を習得するためのものである。B教師が教えたことと、学生が教わったと思っていることは一致しない。C教師は常に正しい教育情報を生徒に伝えなければならない。D一人の教師が教えられることには、どうしても限界がある。

单选题日本人の生活習慣も時代とともに変わっていく。ほんの少し前までは,春や秋になると,畳を乾燥させるために家の中から畳を外に出す光景があちこちで見られたものであり,どんなに忙しい生活をしている人でもこれだけは続けてきた。畳は暮らしの中に季節感を作り出していたのである。が,最近では畳がだんだん見られなくなってきている。畳の上に座る,畳の上で家族みんなで食卓を囲む,畳の上に布団を敷いて寝る。客が来れば,その畳の上に手をついてあいさつをする。それが当たり前だった生活はつい昨日のようなことである。畳は日常生活とともにあったのである。畳という言葉は,古い時代の文字や記録にも出ている。昔から日本人の生活の中にあったものと考えてよいのであろうが,そのころは床に敷く布や毛布のようなものを「たたみ」と呼んでいたらしい。(ア),使わないときは畳んでしまっていた。つまり,「畳む」ものだから畳という言葉が生まれたのだろうと思われる。また,昔の詩の中に,「旅に出た人の使っていた畳は動かしても汚してもならない」とある。なぜなら人は旅に出ているときでも故郷に自分の心を残しており,その心は畳の上にも残っている。その畳を留守の間に大事にしないと,旅で危険な目にあったり(遇险),病気になったりする,と信じられていたからだ。昔は畳は自分一人だけで使うものだったのである。やがて時代は変わり,畳はだんだん現在のような形と大きさのものになっていく。1人の人が寝られるぐらいの大きさが畳の標準となり,それに合わせて部屋の大きさも決められるようになったのである。最近ではすっかり目立たなくなった畳も長い歴史を持ち,日本の生活文化と深いつながり(关系)を持っているのである。文中の「これ」を指す意味はどれか()。A忙しい生活をすることB畳を外に出して干すことCあちこちで畳が見られることD生活習慣が時代とともに変わること

单选题あるアメリカ人が高校での英語教師としての任期が終わり、日本を離れる前に四国に旅をした。日本の「田舎」といわれるところを旅してアメリカに帰りたいという彼の願いを実現するため、日本人の友人の勧めで【ア】旅行先を四国に選んで1週間の旅をしたそうだ。帰ってきた彼は目を輝かして「日本を離れる前に本当に【イ】国際人だな、と思う日本人に会えましたよ」と真剣な顔で話し始めたのである。彼は旅の最後の日、本州に戻る小さな船に乗るため、ある漁村で港に行くバスを待っていたそうだ。バス停みたいな標識が立っているところでバスが来るのを待つことにしたが、どっち側のバス停で待つか分からず、困っていたそうだ。すると、1人の年老いた女性がバス停にやってきて、バスを待つ様子で横に並んだ。そこで片言(只言片语)の日本語で「すみません、港に行くのはどっち側のバス停で待てばいいんですか」と尋ねた【ウ】。「あっち側だよ」と指差してくれて「さっき出たばかりなので、もうしばらく来ないよ」と方言混じりの分かりにくい日本語で教えてくれたそうだ。そして、そのおばあさんは、「どこから来たのかね」と聞くので「横浜です」と答えると、「四国の旅行は楽しかったかね」と話し始め、約15分ぐらいいろいろな話をしたそうだ。そのアメリカ人の日本語は【エ】ほめても上手とは言えないものだが、そのおばあさんは1度も「日本語がしゃべれるのか」と驚いた言葉も出さなかったし、そういう表情もなかったというのである。会話の中で「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」など、必ずといってよいほど聞かれ続けた質問は一切なく、明らかに西洋人であると分かるのに、淡々として「どこから?」という問いに【オ】「横浜から」という答えにも驚かず、まったく1人の人間として受け入れてくれたことは信じられないほどの驚きだったというのであった。文中の【エ】の「ほめても上手とは言えないものだ」と同じ意味を表している文中の言葉はどれか()。A驚いた言葉B片言の日本語C分かりにくい日本語D方言混じりの日本語

单选题あるアメリカ人が高校での英語教師としての任期が終わり、日本を離れる前に四国に旅をした。日本の「田舎」といわれるところを旅してアメリカに帰りたいという彼の願いを実現するため、日本人の友人の勧めで【ア】旅行先を四国に選んで1週間の旅をしたそうだ。帰ってきた彼は目を輝かして「日本を離れる前に本当に【イ】国際人だな、と思う日本人に会えましたよ」と真剣な顔で話し始めたのである。彼は旅の最後の日、本州に戻る小さな船に乗るため、ある漁村で港に行くバスを待っていたそうだ。バス停みたいな標識が立っているところでバスが来るのを待つことにしたが、どっち側のバス停で待つか分からず、困っていたそうだ。すると、1人の年老いた女性がバス停にやってきて、バスを待つ様子で横に並んだ。そこで片言(只言片语)の日本語で「すみません、港に行くのはどっち側のバス停で待てばいいんですか」と尋ねた【ウ】。「あっち側だよ」と指差してくれて「さっき出たばかりなので、もうしばらく来ないよ」と方言混じりの分かりにくい日本語で教えてくれたそうだ。そして、そのおばあさんは、「どこから来たのかね」と聞くので「横浜です」と答えると、「四国の旅行は楽しかったかね」と話し始め、約15分ぐらいいろいろな話をしたそうだ。そのアメリカ人の日本語は【エ】ほめても上手とは言えないものだが、そのおばあさんは1度も「日本語がしゃべれるのか」と驚いた言葉も出さなかったし、そういう表情もなかったというのである。会話の中で「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」など、必ずといってよいほど聞かれ続けた質問は一切なく、明らかに西洋人であると分かるのに、淡々として「どこから?」という問いに【オ】「横浜から」という答えにも驚かず、まったく1人の人間として受け入れてくれたことは信じられないほどの驚きだったというのであった。文中の【オ】は「横浜から」という答えに対して、驚く人が多いということを意味している。「横浜から」という答えに驚く人が予想している普通の答えはどれか()。A外国の地名を答えることB日本人の案内で横浜から来たと答えることC外国の人名を答えることD日本の首都の東京から来たと答えること

单选题あるアメリカ人が高校での英語教師としての任期が終わり、日本を離れる前に四国に旅をした。日本の「田舎」といわれるところを旅してアメリカに帰りたいという彼の願いを実現するため、日本人の友人の勧めで【ア】旅行先を四国に選んで1週間の旅をしたそうだ。帰ってきた彼は目を輝かして「日本を離れる前に本当に【イ】国際人だな、と思う日本人に会えましたよ」と真剣な顔で話し始めたのである。彼は旅の最後の日、本州に戻る小さな船に乗るため、ある漁村で港に行くバスを待っていたそうだ。バス停みたいな標識が立っているところでバスが来るのを待つことにしたが、どっち側のバス停で待つか分からず、困っていたそうだ。すると、1人の年老いた女性がバス停にやってきて、バスを待つ様子で横に並んだ。そこで片言(只言片语)の日本語で「すみません、港に行くのはどっち側のバス停で待てばいいんですか」と尋ねた【ウ】。「あっち側だよ」と指差してくれて「さっき出たばかりなので、もうしばらく来ないよ」と方言混じりの分かりにくい日本語で教えてくれたそうだ。そして、そのおばあさんは、「どこから来たのかね」と聞くので「横浜です」と答えると、「四国の旅行は楽しかったかね」と話し始め、約15分ぐらいいろいろな話をしたそうだ。そのアメリカ人の日本語は【エ】ほめても上手とは言えないものだが、そのおばあさんは1度も「日本語がしゃべれるのか」と驚いた言葉も出さなかったし、そういう表情もなかったというのである。会話の中で「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」など、必ずといってよいほど聞かれ続けた質問は一切なく、明らかに西洋人であると分かるのに、淡々として「どこから?」という問いに【オ】「横浜から」という答えにも驚かず、まったく1人の人間として受け入れてくれたことは信じられないほどの驚きだったというのであった。「あるアメリカ人」にとって、「本当の国際人」とはどんな人か()A「どこから?」という質問に「横浜から」と答えられるような人。B「ハシは使える」「サシミは食べられる」だけでなく、日本語もよくしゃべれる人。C外国人でも自国の1人として自然に受け入れることのできる人。D外国人に四国のおばあさんのように親切に話してあげたりすることのできる人。

单选题あるアメリカ人が高校での英語教師としての任期が終わり、日本を離れる前に四国に旅をした。日本の「田舎」といわれるところを旅してアメリカに帰りたいという彼の願いを実現するため、日本人の友人の勧めで【ア】旅行先を四国に選んで1週間の旅をしたそうだ。帰ってきた彼は目を輝かして「日本を離れる前に本当に【イ】国際人だな、と思う日本人に会えましたよ」と真剣な顔で話し始めたのである。彼は旅の最後の日、本州に戻る小さな船に乗るため、ある漁村で港に行くバスを待っていたそうだ。バス停みたいな標識が立っているところでバスが来るのを待つことにしたが、どっち側のバス停で待つか分からず、困っていたそうだ。すると、1人の年老いた女性がバス停にやってきて、バスを待つ様子で横に並んだ。そこで片言(只言片语)の日本語で「すみません、港に行くのはどっち側のバス停で待てばいいんですか」と尋ねた【ウ】。「あっち側だよ」と指差してくれて「さっき出たばかりなので、もうしばらく来ないよ」と方言混じりの分かりにくい日本語で教えてくれたそうだ。そして、そのおばあさんは、「どこから来たのかね」と聞くので「横浜です」と答えると、「四国の旅行は楽しかったかね」と話し始め、約15分ぐらいいろいろな話をしたそうだ。そのアメリカ人の日本語は【エ】ほめても上手とは言えないものだが、そのおばあさんは1度も「日本語がしゃべれるのか」と驚いた言葉も出さなかったし、そういう表情もなかったというのである。会話の中で「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」など、必ずといってよいほど聞かれ続けた質問は一切なく、明らかに西洋人であると分かるのに、淡々として「どこから?」という問いに【オ】「横浜から」という答えにも驚かず、まったく1人の人間として受け入れてくれたことは信じられないほどの驚きだったというのであった。もしこの文章にテーマをつけるとしたら、どれがよいか()A平成時代の日本人B地球時代の日本人C日本人とアメリカ人D教育の国際化に要求する日本人

单选题あるアメリカ人が高校での英語教師としての任期が終わり、日本を離れる前に四国に旅をした。日本の「田舎」といわれるところを旅してアメリカに帰りたいという彼の願いを実現するため、日本人の友人の勧めで【ア】旅行先を四国に選んで1週間の旅をしたそうだ。帰ってきた彼は目を輝かして「日本を離れる前に本当に【イ】国際人だな、と思う日本人に会えましたよ」と真剣な顔で話し始めたのである。彼は旅の最後の日、本州に戻る小さな船に乗るため、ある漁村で港に行くバスを待っていたそうだ。バス停みたいな標識が立っているところでバスが来るのを待つことにしたが、どっち側のバス停で待つか分からず、困っていたそうだ。すると、1人の年老いた女性がバス停にやってきて、バスを待つ様子で横に並んだ。そこで片言(只言片语)の日本語で「すみません、港に行くのはどっち側のバス停で待てばいいんですか」と尋ねた【ウ】。「あっち側だよ」と指差してくれて「さっき出たばかりなので、もうしばらく来ないよ」と方言混じりの分かりにくい日本語で教えてくれたそうだ。そして、そのおばあさんは、「どこから来たのかね」と聞くので「横浜です」と答えると、「四国の旅行は楽しかったかね」と話し始め、約15分ぐらいいろいろな話をしたそうだ。そのアメリカ人の日本語は【エ】ほめても上手とは言えないものだが、そのおばあさんは1度も「日本語がしゃべれるのか」と驚いた言葉も出さなかったし、そういう表情もなかったというのである。会話の中で「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」など、必ずといってよいほど聞かれ続けた質問は一切なく、明らかに西洋人であると分かるのに、淡々として「どこから?」という問いに【オ】「横浜から」という答えにも驚かず、まったく1人の人間として受け入れてくれたことは信じられないほどの驚きだったというのであった。文中の【イ】の「国際人」とはだれか()。A四国のたびを終えて東京に帰ってきた「彼」。B四国の漁村でバスを待っていたおばあさん。C外国人に「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」と質問する人。D「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」とよく質問される人。

单选题あるアメリカ人が高校での英語教師としての任期が終わり、日本を離れる前に四国に旅をした。日本の「田舎」といわれるところを旅してアメリカに帰りたいという彼の願いを実現するため、日本人の友人の勧めで【ア】旅行先を四国に選んで1週間の旅をしたそうだ。帰ってきた彼は目を輝かして「日本を離れる前に本当に【イ】国際人だな、と思う日本人に会えましたよ」と真剣な顔で話し始めたのである。彼は旅の最後の日、本州に戻る小さな船に乗るため、ある漁村で港に行くバスを待っていたそうだ。バス停みたいな標識が立っているところでバスが来るのを待つことにしたが、どっち側のバス停で待つか分からず、困っていたそうだ。すると、1人の年老いた女性がバス停にやってきて、バスを待つ様子で横に並んだ。そこで片言(只言片语)の日本語で「すみません、港に行くのはどっち側のバス停で待てばいいんですか」と尋ねた【ウ】。「あっち側だよ」と指差してくれて「さっき出たばかりなので、もうしばらく来ないよ」と方言混じりの分かりにくい日本語で教えてくれたそうだ。そして、そのおばあさんは、「どこから来たのかね」と聞くので「横浜です」と答えると、「四国の旅行は楽しかったかね」と話し始め、約15分ぐらいいろいろな話をしたそうだ。そのアメリカ人の日本語は【エ】ほめても上手とは言えないものだが、そのおばあさんは1度も「日本語がしゃべれるのか」と驚いた言葉も出さなかったし、そういう表情もなかったというのである。会話の中で「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」など、必ずといってよいほど聞かれ続けた質問は一切なく、明らかに西洋人であると分かるのに、淡々として「どこから?」という問いに【オ】「横浜から」という答えにも驚かず、まったく1人の人間として受け入れてくれたことは信じられないほどの驚きだったというのであった。問78のように予想してしまう理由はどれか()A相手が明らかにアメリカ人であるから。B相手が明らかに西洋人であるから。C横浜は日本の港町で外国人が多いから。D外国人が日本に来る場合、まず東京に来るのが多いから。

单选题アメリカ人と話しているとき、自分の英語が()と不安になることがある。A上手ではないかB下手ではないC上手なのではないかD下手なのではないか

单选题日本の相撲界で活躍している外国人力士のインタビュー(采访)を聞いた人は、かれらの日本語が完璧なのに驚くだろう。(ア)。日本語が上手な外国人は多いが、発音がいい人はめったにいない。どうしても外国人特有の発音になってしまう。ここに外国語習得の鍵がある。力士たちは日本語がまったくできない状態で来日するが、合宿(集训)の中で自然に日本語をマスターしていく。起きてから寝るまで日本語ばかりだ。かれらは衣食住そのすべてに日本が必要だ。日本語ができないとまったく生活できない。相撲が強くなるためにも日本語が必要だ。だから毎日周りの人全員を日本語の先生にして覚えていく。何と理想的な日本語習得の場であることか。教室での学習と違って、耳で覚えた日本語は本当に自然な日本語だ。子どもが自然に言葉を学習していくのと同じだと言える。(イ)、だれもがこのような理想的な環境を手に入れることはできない。ではどうしたらいいのか。日本留学は最も効果が上がる方法かもしれない。だが、だれでも工夫すれば条件をよくすることが可能だ。テープを繰り返し聞く。覚えて声に出して言う。実際に日本人と話してみる。これらは簡単なようで意外に難しい。しかし、これが実行できたら、日本語力がいっそう向上することは(ウ)。文中の「このような理想的な環境」の指すものはどれか()A日本語の先生がいる環境B相撲取りになるための環境Cみんなで一緒に合宿生活をする環境D日本語を使って暮らさなければならない環境

单选题日本の相撲界で活躍している外国人力士のインタビュー(采访)を聞いた人は、かれらの日本語が完璧なのに驚くだろう。(ア)。日本語が上手な外国人は多いが、発音がいい人はめったにいない。どうしても外国人特有の発音になってしまう。ここに外国語習得の鍵がある。力士たちは日本語がまったくできない状態で来日するが、合宿(集训)の中で自然に日本語をマスターしていく。起きてから寝るまで日本語ばかりだ。かれらは衣食住そのすべてに日本が必要だ。日本語ができないとまったく生活できない。相撲が強くなるためにも日本語が必要だ。だから毎日周りの人全員を日本語の先生にして覚えていく。何と理想的な日本語習得の場であることか。教室での学習と違って、耳で覚えた日本語は本当に自然な日本語だ。子どもが自然に言葉を学習していくのと同じだと言える。(イ)、だれもがこのような理想的な環境を手に入れることはできない。ではどうしたらいいのか。日本留学は最も効果が上がる方法かもしれない。だが、だれでも工夫すれば条件をよくすることが可能だ。テープを繰り返し聞く。覚えて声に出して言う。実際に日本人と話してみる。これらは簡単なようで意外に難しい。しかし、これが実行できたら、日本語力がいっそう向上することは(ウ)。文中に「自然に日本語をマスターしていく」とあるが、その意味はどれか()A何もしなくても日本語が上手になることB学校に行かなくても日本語が上手になることC生活していくうちに日本語が上手になっていくことD子どものように遊んでいるうちに日本語が上手になっていくこと

单选题あるアメリカ人が高校での英語教師としての任期が終わり、日本を離れる前に四国に旅をした。日本の「田舎」といわれるところを旅してアメリカに帰りたいという彼の願いを実現するため、日本人の友人の勧めで【ア】旅行先を四国に選んで1週間の旅をしたそうだ。帰ってきた彼は目を輝かして「日本を離れる前に本当に【イ】国際人だな、と思う日本人に会えましたよ」と真剣な顔で話し始めたのである。彼は旅の最後の日、本州に戻る小さな船に乗るため、ある漁村で港に行くバスを待っていたそうだ。バス停みたいな標識が立っているところでバスが来るのを待つことにしたが、どっち側のバス停で待つか分からず、困っていたそうだ。すると、1人の年老いた女性がバス停にやってきて、バスを待つ様子で横に並んだ。そこで片言(只言片语)の日本語で「すみません、港に行くのはどっち側のバス停で待てばいいんですか」と尋ねた【ウ】。「あっち側だよ」と指差してくれて「さっき出たばかりなので、もうしばらく来ないよ」と方言混じりの分かりにくい日本語で教えてくれたそうだ。そして、そのおばあさんは、「どこから来たのかね」と聞くので「横浜です」と答えると、「四国の旅行は楽しかったかね」と話し始め、約15分ぐらいいろいろな話をしたそうだ。そのアメリカ人の日本語は【エ】ほめても上手とは言えないものだが、そのおばあさんは1度も「日本語がしゃべれるのか」と驚いた言葉も出さなかったし、そういう表情もなかったというのである。会話の中で「ハシは使えるのか」「サシミは食べられるか」など、必ずといってよいほど聞かれ続けた質問は一切なく、明らかに西洋人であると分かるのに、淡々として「どこから?」という問いに【オ】「横浜から」という答えにも驚かず、まったく1人の人間として受け入れてくれたことは信じられないほどの驚きだったというのであった。文中の【ア】の「旅行先を四国に選んで1週間の旅をした」理由はどれか()。A日本の「田舎」といわれる四国の英語教育の現状を調査したいから。B四国を旅行してアメリカに帰りたいという昔からの願いを実現したいから。C四国は日本の「田舎」だと昔から知っていて、そこを旅してみたいという願いを実現したいから。D日本の「田舎」を見てから帰国するという願いを実現したいし、日本の友達の勧めもあったから。

单选题同じ日本の言葉でも、その土地、その土地(ア)ずいぶん違います。このようにその土地で(イ)使われない言葉のことを「方言」と言います。方言にはその土地の特色がよく現れていて、その地方で育ったひとには懐かしい思い出になります。しかし、同じ日本人(ウ)、手紙をもらっても、会って話しても、意味がわからければ困ります。全国の人がお互いに分かる言葉を(エ)、進歩した今の社会では不便で困ります。日本全国の人が分かる言葉、(オ)それを「共通語」と言います。テレビのアナウンサーが話す言葉や、新聞や教科書の文章の言葉は共通語です。共通語はだいたい東京やその近くで使われている言葉ですが、東京以外の地方に住んでいて、いつも方言で話している人でも、必要があれば、共通語で話ができるようにしなければなりません。文中の(ア)に入れるのに最も適当なものはどれか()。AでBはCがDに