人前でスピーチするのは初めてのこと()、彼はすっかり緊張していた。A、とてB、であってもC、だのにD、といって
人前でスピーチするのは初めてのこと()、彼はすっかり緊張していた。
- A、とて
- B、であっても
- C、だのに
- D、といって
相关考题:
人間の体を機械と(ア)同じように考えることがよくあります。人体も、機械のように心臓や胃や目などの部品が集まってできていると考え、胃がおかしいときには胃という部品が故障したと考えます。したがって、胃を修理すれば、病気が治ったと考えることになります。また、その部品にしても、心臓はポンプで、目はカメラで、脳はコンピューターのようなもの、と考えたりします。そういう、脳はコンピューターと同じに考えるひとは、(イ)コンピューターと同じように働く脳を優れたものと思うようになります。速く正確に計算できたり、なんでもそのままに記憶できたりすることが頭のいいことだ、と考えている人も(ウ)でしょう。(エ)人間は機械と同じなのでしょうか。人間はただの複雑な機械であるだけなのでしょうか。もちろん、人間には機械に似たところもあります。だから、人間のことを機械を研究するように研究するのも無意味ではあるませんが、しかし、(オ)それでわかる事は人間の一面にすぎません。(カ)、アメリカでは1976年の建国200年を記念するつもりで、その何年も前に、火星へのロケット着陸とがん制圧と言う大きな研究目標を立てました。このときまでに科学者が力を合わせて大規模な研究を続けた結果、すでに月旅行に成功していました。(キ)、その月旅行の科学を発展させて、火星ロケットにも成功しました。ところが、一方のがん制圧のほうは期待したような成果をあげることはできませんでした。つまり、機械を作る科学のほうは急速に進歩していきますが、人間の病気を治す科学のほうはそう簡単にはいかないということです。人間は機械と同じではないからです。(ク)人間は「いつも生きるために行動する」という点が機械と違うのです。機械は生きていませんから、生きるために行動するのではありません。文中のオの「それ」は何を指すか()。A、地方で使われる言葉B、その地方の特色がよく現れている言葉C、新聞や教科書の文章の言葉D、日本全国の人が分かる言葉
ニュースは、新聞だけではなくテレビで知ることもできます。じゃあ、新聞なんか読まなくても、テレビを見ればいいじゃないか。そのほうが楽だし速いじゃないか。そんなふうに考える人もいるかもしれません。でもやはり、ぼくは新聞を読んでほしいと思います。新聞には、テレビにないよさがあると思うからです。テレビというのは、映像と音が組み合わさっています。見る側は、目とか耳とかの感覚を働かせることになります。テレビの前に座っていると、感覚に訴える要素が次々に現れ、次々に消え、移っていくわけです。これはテレビの特色ですが、同時に欠陥でもあります。ときどきこちらが考えさせられるようなことを言ったり、興味深い画像が出てきたりしますが、あっと思ったらもう次に移ってしまい、よほど印象深いもの以外は思い出しません。それに対して新聞、(ア)活字の場合は、立ち止まって(停下来)考えることができます。それだけではなく、さらにその先へ考えを進めることができる。想像を広げたり、新しい着想を得たりということが可能なのです。映像から得る感覚的な刺激は、(イ)だけで終わってしまうことが多いのですが、活字の場合は、新しい何かを付け加えたり、まったく違うものを創り出したりということがしやすいのです。文中の「そのほう」の指すことはどれか()。A、ニュースを聞くことB、ニュースを知ることC、テレビを見ることD、新聞を読むこと
ある日、友だちの吉崎さんが突然「卵は立つと思いますか」と言い出すのです。「立春の卵という話は聞いたことがあるけどね。」「卵は立春であってもなくても立ちます」吉崎さんは断言します。翌日,吉崎さんはいくつかの卵を持って来ました。机の上で卵を立てようとする。コロンブス(哥伦布)はゆで卵(煮鸡蛋)の先を潰して立てたそうですが、吉崎さんは、生のままの卵を、そのままの形で立てようとしている。1分、2分、やはりだめじゃないかと言おうとしたその瞬間、卵は立ったのです。吉崎さんは満足そうに笑っています。「なるほど、立つのか。」家に帰って。冷蔵庫から卵を取り出して実験を繰り返しました。焦っていると、なかなか立たない。心を静かにして落ち着いてやると、やはり立つのです。全部ではないが、いくつかは、立ちました。机の上にすっきりした形で立つ卵をじっと見ながら、わたしはこう考えました。先入観(先入为主)というのは(ア)ものです。コロンブスの卵の話があるために卵は細工(加工)をしないと立たないという思い込み(深信不疑)が広がりました。それと、立春の卵の話が重なります。立春のころになると、ときどきそのことが話題になります。すると、おかしなことに人々はこう思い込んでしまったのです。「立春の日に立つか立たないかが話題になる、ということは立春の日以外は当然、卵は立たないのだ」と。文中に「細工をしないと立たない」とあると、そう思っているのはだれか()。A、吉崎さんB、筆者を含む人々C、コロンブスD、筆者以外の人々
さびしい()A、ねぼうしてしまってさびしかったです。B、きょうはさびしいからセーターをきます。C、ひとりですんでいるので、ときどきさびしくなります。D、このへやはそうじをしていないので、さびしいです。
人間の体を機械と(ア)同じように考えることがよくあります。人体も、機械のように心臓や胃や目などの部品が集まってできていると考え、胃がおかしいときには胃という部品が故障したと考えます。したがって、胃を修理すれば、病気が治ったと考えることになります。また、その部品にしても、心臓はポンプで、目はカメラで、脳はコンピューターのようなもの、と考えたりします。そういう、脳はコンピューターと同じに考えるひとは、(イ)コンピューターと同じように働く脳を優れたものと思うようになります。速く正確に計算できたり、なんでもそのままに記憶できたりすることが頭のいいことだ、と考えている人も(ウ)でしょう。(エ)人間は機械と同じなのでしょうか。人間はただの複雑な機械であるだけなのでしょうか。もちろん、人間には機械に似たところもあります。だから、人間のことを機械を研究するように研究するのも無意味ではあるませんが、しかし、(オ)それでわかる事は人間の一面にすぎません。(カ)、アメリカでは1976年の建国200年を記念するつもりで、その何年も前に、火星へのロケット着陸とがん制圧と言う大きな研究目標を立てました。このときまでに科学者が力を合わせて大規模な研究を続けた結果、すでに月旅行に成功していました。(キ)、その月旅行の科学を発展させて、火星ロケットにも成功しました。ところが、一方のがん制圧のほうは期待したような成果をあげることはできませんでした。つまり、機械を作る科学のほうは急速に進歩していきますが、人間の病気を治す科学のほうはそう簡単にはいかないということです。人間は機械と同じではないからです。(ク)人間は「いつも生きるために行動する」という点が機械と違うのです。機械は生きていませんから、生きるために行動するのではありません。この文章の内容に合っているものはどれか()。A、私達人間の脳はコンピューターとまったく同じです。B、私達人間の脳はコンピューターと同じように働き、同じように優れています。C、人間は機械と同じではなく、行動の目的はいつも生きるためです。D、機械は人間と同じように生きるために行動します。
他人に注意するのが好きな人がいる。切符売り場などで、人々が列を作って並んでいるのに、割り込む(加塞儿,插队)人に、「みんな順番で待っているのよ。」などと注意する。内心何か言いたいと思っていた他の人々は、「代わりに言ってくれてよかった。」ほっとする(安心,放心)。注意されたほうは、文句()を言いながらも、列の後ろに並ぶ。必ずしも自分の得にならない。場合によっては損になるかもしれないのに、他人の利益のためにあえて(敢于)する、というのが「利他行動」である。なぜ、注意することが利他行動になるのだろうか。注意された相手は、その後規則を守ってきちんとした行動をとるようになるかもしれない。(ア)、結果、その人と接する人々は、得をすることになる。自分は何の行動も取っていないのだから、「ゼロコスト」(零成本)で、そのような利益を得たことになる。注意する人も、そのことで得することもあるかもしれない。一方で、行動することにはエネルギー(能量)が必要であり、けんかになったり、不快な思いをしたりする危険もある。そのような不利益を被り(蒙受)ながら、他者には無償(むしょう)の利益を与えるという意味で、「注意すること」は利他行動である。文中の「そのこと」の指すことはどれか()。A、注意することB、けんかすることC、文句を言うことD、不快な思いをすること
日本では、まだ食べられるのに食べないで、ゴミとして捨てられてしまう食品(食品ロス)が、金額にすると年間11兆円にもなると言われています。その中には、使われないまま捨てられてしまう食品も含まれているそうです。農産物を含む輸入食品の総額が5兆円ですので、私たち日本人は、輸入しておきながらその2倍以上の食品を捨てていることになります。農林水産省が行った「食品ロス調査」でも、たくさんの食品の無駄遣いの状況が報告されています。家庭での食品ロス率は4.8%となっていて、特に野菜類、果実類、魚介類のロス率が高くなっています。(ア)、一般家庭と飲食店との食べ残しの割合を比べると、家庭のほうが食べ残しの割合が高いという結果が出ています。食品を捨てる理由としては、◇食品が腐ったりカビが生えたりしたため◇消費・賞味期限が過ぎたため◇食べきれなかったためなどがあがっています。家庭の食品ロス率4.8%というのは少ないと思いますか。もし1日1kgの食べ物を用意したとすると、そのうち48捨てていることになります。1年間で計算すると17.52kg。日本全体で考えると、一体どれぐらいの量になるか、おそろしいほどですね。(イ)、飲食店や加工業者から出る食品ロスと、全体の生産ゴミの量を含めると、1年間で約2000万tの生ゴミが出るのだそうです。2000万tといえば、東京ドーム50杯以上の量になります。生ごみを減らすために、私たちにできることは何でしょうか。◇食べる量だけ買って、食べる量だけ作り、好き嫌いせずに何でも食べる◇野菜も魚も、食べられるところは全部食べる◇上手に保存して、食べ物を長持ちさせるということではないでしょうか。文中に「おそろしいほどです」とあるが、おそろしいことは何か()A、日本の家庭の食品ロスがとても多いことB、日本の家庭の食品ロスがとても少ないことC、日本全体の食品ロスの量が分からないことD、日本全体の食品ロス率の計算が難しいこと
ニュースは、新聞だけではなくテレビで知ることもできます。じゃあ、新聞なんか読まなくても、テレビを見ればいいじゃないか。そのほうが楽だし速いじゃないか。そんなふうに考える人もいるかもしれません。でもやはり、ぼくは新聞を読んでほしいと思います。新聞には、テレビにないよさがあると思うからです。テレビというのは、映像と音が組み合わさっています。見る側は、目とか耳とかの感覚を働かせることになります。テレビの前に座っていると、感覚に訴える要素が次々に現れ、次々に消え、移っていくわけです。これはテレビの特色ですが、同時に欠陥でもあります。ときどきこちらが考えさせられるようなことを言ったり、興味深い画像が出てきたりしますが、あっと思ったらもう次に移ってしまい、よほど印象深いもの以外は思い出しません。それに対して新聞、(ア)活字の場合は、立ち止まって(停下来)考えることができます。それだけではなく、さらにその先へ考えを進めることができる。想像を広げたり、新しい着想を得たりということが可能なのです。映像から得る感覚的な刺激は、(イ)だけで終わってしまうことが多いのですが、活字の場合は、新しい何かを付け加えたり、まったく違うものを創り出したりということがしやすいのです。この文章の内容に最も合っているものはどれか()A、ニュースを知るには、新聞より速くて楽なテレビのほうがよい。B、ニュースは新聞だけではなくテレビで知ることもできるので、どちらも見るべきだ。C、立ち止まって考えることができる新聞には、すぐに消えてしまうテレビにはないよさがある。
「わが国にとってこんな悪い時はない」と、みんなは嘆(なげ)きました。ダルガス(人名)もそれを否定することはできませんでした。しかし、「祖国の復興には、こんなよい時はない」と、彼が固く信じていました。もちろん、それをはっきり口に出して言うことはできませんでした。そんなことを言ったら、戦争に負けたことを喜んでいると、ののしられた(被骂)でしょう。彼は、ただ実行によって自分の信念を示すほかはないと思いました。それで彼は「まったくわが国にとって(ア)時だ。だが、われわれは外に失ったものを内に取り返す(弥补)ことはできる。われわれの生きている間に、(イ)。」と言っていました。ダルガスは、祖国の復興はまず木からだと思いました。緑の木の茂っている(しげる)国は、必ず栄え、木の乏しい、秃山や荒野の国は、必ず衰えます。いや、木の茂っていることが国の栄えている印であり、木の乏しいことが国の衰えている印です。過去、現在を通じて、世界の国々の実例がはっきりそのことを示している。文中の「それ」の指すのは()どれか。A、みんなが嘆いたということB、彼が固く信じていたということC、祖国の復興にはこんな良い時はないということD、わが国にとってこんな悪い時はないということ
ある日、友だちの吉崎さんが突然「卵は立つと思いますか」と言い出すのです。「立春の卵という話は聞いたことがあるけどね。」「卵は立春であってもなくても立ちます」吉崎さんは断言します。翌日,吉崎さんはいくつかの卵を持って来ました。机の上で卵を立てようとする。コロンブス(哥伦布)はゆで卵(煮鸡蛋)の先を潰して立てたそうですが、吉崎さんは、生のままの卵を、そのままの形で立てようとしている。1分、2分、やはりだめじゃないかと言おうとしたその瞬間、卵は立ったのです。吉崎さんは満足そうに笑っています。「なるほど、立つのか。」家に帰って。冷蔵庫から卵を取り出して実験を繰り返しました。焦っていると、なかなか立たない。心を静かにして落ち着いてやると、やはり立つのです。全部ではないが、いくつかは、立ちました。机の上にすっきりした形で立つ卵をじっと見ながら、わたしはこう考えました。先入観(先入为主)というのは(ア)ものです。コロンブスの卵の話があるために卵は細工(加工)をしないと立たないという思い込み(深信不疑)が広がりました。それと、立春の卵の話が重なります。立春のころになると、ときどきそのことが話題になります。すると、おかしなことに人々はこう思い込んでしまったのです。「立春の日に立つか立たないかが話題になる、ということは立春の日以外は当然、卵は立たないのだ」と。文中の「言おうとした」人はだれか()。A、吉崎さんB、筆者C、コロンブスD、筆者以外の人々
ある日、友だちの吉崎さんが突然「卵は立つと思いますか」と言い出すのです。「立春の卵という話は聞いたことがあるけどね。」「卵は立春であってもなくても立ちます」吉崎さんは断言します。翌日,吉崎さんはいくつかの卵を持って来ました。机の上で卵を立てようとする。コロンブス(哥伦布)はゆで卵(煮鸡蛋)の先を潰して立てたそうですが、吉崎さんは、生のままの卵を、そのままの形で立てようとしている。1分、2分、やはりだめじゃないかと言おうとしたその瞬間、卵は立ったのです。吉崎さんは満足そうに笑っています。「なるほど、立つのか。」家に帰って。冷蔵庫から卵を取り出して実験を繰り返しました。焦っていると、なかなか立たない。心を静かにして落ち着いてやると、やはり立つのです。全部ではないが、いくつかは、立ちました。机の上にすっきりした形で立つ卵をじっと見ながら、わたしはこう考えました。先入観(先入为主)というのは(ア)ものです。コロンブスの卵の話があるために卵は細工(加工)をしないと立たないという思い込み(深信不疑)が広がりました。それと、立春の卵の話が重なります。立春のころになると、ときどきそのことが話題になります。すると、おかしなことに人々はこう思い込んでしまったのです。「立春の日に立つか立たないかが話題になる、ということは立春の日以外は当然、卵は立たないのだ」と。文中の(ア)に入れるのに最も適当な言葉はどれか()。A、すばらしいB、おそろしいC、ただしいD、めずらしい
ある日、友だちの吉崎さんが突然「卵は立つと思いますか」と言い出すのです。「立春の卵という話は聞いたことがあるけどね。」「卵は立春であってもなくても立ちます」吉崎さんは断言します。翌日,吉崎さんはいくつかの卵を持って来ました。机の上で卵を立てようとする。コロンブス(哥伦布)はゆで卵(煮鸡蛋)の先を潰して立てたそうですが、吉崎さんは、生のままの卵を、そのままの形で立てようとしている。1分、2分、やはりだめじゃないかと言おうとしたその瞬間、卵は立ったのです。吉崎さんは満足そうに笑っています。「なるほど、立つのか。」家に帰って。冷蔵庫から卵を取り出して実験を繰り返しました。焦っていると、なかなか立たない。心を静かにして落ち着いてやると、やはり立つのです。全部ではないが、いくつかは、立ちました。机の上にすっきりした形で立つ卵をじっと見ながら、わたしはこう考えました。先入観(先入为主)というのは(ア)ものです。コロンブスの卵の話があるために卵は細工(加工)をしないと立たないという思い込み(深信不疑)が広がりました。それと、立春の卵の話が重なります。立春のころになると、ときどきそのことが話題になります。すると、おかしなことに人々はこう思い込んでしまったのです。「立春の日に立つか立たないかが話題になる、ということは立春の日以外は当然、卵は立たないのだ」と。立春の卵という話に合っているものはどれか()。A、生の卵は立春の日にだけ立つのだ。B、生の卵は立春の日にだけ立たないのだ。C、ゆで卵は立春の日にだけ立つのだ。D、ゆで卵は立春の日にだけ立たないのだ。
人間の体を機械と(ア)同じように考えることがよくあります。人体も、機械のように心臓や胃や目などの部品が集まってできていると考え、胃がおかしいときには胃という部品が故障したと考えます。したがって、胃を修理すれば、病気が治ったと考えることになります。また、その部品にしても、心臓はポンプで、目はカメラで、脳はコンピューターのようなもの、と考えたりします。そういう、脳はコンピューターと同じに考えるひとは、(イ)コンピューターと同じように働く脳を優れたものと思うようになります。速く正確に計算できたり、なんでもそのままに記憶できたりすることが頭のいいことだ、と考えている人も(ウ)でしょう。(エ)人間は機械と同じなのでしょうか。人間はただの複雑な機械であるだけなのでしょうか。もちろん、人間には機械に似たところもあります。だから、人間のことを機械を研究するように研究するのも無意味ではあるませんが、しかし、(オ)それでわかる事は人間の一面にすぎません。(カ)、アメリカでは1976年の建国200年を記念するつもりで、その何年も前に、火星へのロケット着陸とがん制圧と言う大きな研究目標を立てました。このときまでに科学者が力を合わせて大規模な研究を続けた結果、すでに月旅行に成功していました。(キ)、その月旅行の科学を発展させて、火星ロケットにも成功しました。ところが、一方のがん制圧のほうは期待したような成果をあげることはできませんでした。つまり、機械を作る科学のほうは急速に進歩していきますが、人間の病気を治す科学のほうはそう簡単にはいかないということです。人間は機械と同じではないからです。(ク)人間は「いつも生きるために行動する」という点が機械と違うのです。機械は生きていませんから、生きるために行動するのではありません。文中のア()の「同じように考える」とは、何と何とを同じように考えるのか。A、人間の体と脳B、機械とコンピューターC、人間の体と機械D、体と機械
日本では、まだ食べられるのに食べないで、ゴミとして捨てられてしまう食品(食品ロス)が、金額にすると年間11兆円にもなると言われています。その中には、使われないまま捨てられてしまう食品も含まれているそうです。農産物を含む輸入食品の総額が5兆円ですので、私たち日本人は、輸入しておきながらその2倍以上の食品を捨てていることになります。農林水産省が行った「食品ロス調査」でも、たくさんの食品の無駄遣いの状況が報告されています。家庭での食品ロス率は4.8%となっていて、特に野菜類、果実類、魚介類のロス率が高くなっています。(ア)、一般家庭と飲食店との食べ残しの割合を比べると、家庭のほうが食べ残しの割合が高いという結果が出ています。食品を捨てる理由としては、◇食品が腐ったりカビが生えたりしたため◇消費・賞味期限が過ぎたため◇食べきれなかったためなどがあがっています。家庭の食品ロス率4.8%というのは少ないと思いますか。もし1日1kgの食べ物を用意したとすると、そのうち48捨てていることになります。1年間で計算すると17.52kg。日本全体で考えると、一体どれぐらいの量になるか、おそろしいほどですね。(イ)、飲食店や加工業者から出る食品ロスと、全体の生産ゴミの量を含めると、1年間で約2000万tの生ゴミが出るのだそうです。2000万tといえば、東京ドーム50杯以上の量になります。生ごみを減らすために、私たちにできることは何でしょうか。◇食べる量だけ買って、食べる量だけ作り、好き嫌いせずに何でも食べる◇野菜も魚も、食べられるところは全部食べる◇上手に保存して、食べ物を長持ちさせるということではないでしょうか。文中の「その」の指すものはどれか()A、輸入した農産物B、食べ残した食品C、輸入した食品の総額D、ゴミとして捨てられた食品
人間の体を機械と(ア)同じように考えることがよくあります。人体も、機械のように心臓や胃や目などの部品が集まってできていると考え、胃がおかしいときには胃という部品が故障したと考えます。したがって、胃を修理すれば、病気が治ったと考えることになります。また、その部品にしても、心臓はポンプで、目はカメラで、脳はコンピューターのようなもの、と考えたりします。そういう、脳はコンピューターと同じに考えるひとは、(イ)コンピューターと同じように働く脳を優れたものと思うようになります。速く正確に計算できたり、なんでもそのままに記憶できたりすることが頭のいいことだ、と考えている人も(ウ)でしょう。(エ)人間は機械と同じなのでしょうか。人間はただの複雑な機械であるだけなのでしょうか。もちろん、人間には機械に似たところもあります。だから、人間のことを機械を研究するように研究するのも無意味ではあるませんが、しかし、(オ)それでわかる事は人間の一面にすぎません。(カ)、アメリカでは1976年の建国200年を記念するつもりで、その何年も前に、火星へのロケット着陸とがん制圧と言う大きな研究目標を立てました。このときまでに科学者が力を合わせて大規模な研究を続けた結果、すでに月旅行に成功していました。(キ)、その月旅行の科学を発展させて、火星ロケットにも成功しました。ところが、一方のがん制圧のほうは期待したような成果をあげることはできませんでした。つまり、機械を作る科学のほうは急速に進歩していきますが、人間の病気を治す科学のほうはそう簡単にはいかないということです。人間は機械と同じではないからです。(ク)人間は「いつも生きるために行動する」という点が機械と違うのです。機械は生きていませんから、生きるために行動するのではありません。文中の(カ)に入れるのに最も適当なものはどれか()。A、たとえばB、だからC、そしてD、それから
单选题「わが国にとってこんな悪い時はない」と、みんなは嘆(なげ)きました。ダルガス(人名)もそれを否定することはできませんでした。しかし、「祖国の復興には、こんなよい時はない」と、彼が固く信じていました。もちろん、それをはっきり口に出して言うことはできませんでした。そんなことを言ったら、戦争に負けたことを喜んでいると、ののしられた(被骂)でしょう。彼は、ただ実行によって自分の信念を示すほかはないと思いました。それで彼は「まったくわが国にとって(ア)時だ。だが、われわれは外に失ったものを内に取り返す(弥补)ことはできる。われわれの生きている間に、(イ)。」と言っていました。ダルガスは、祖国の復興はまず木からだと思いました。緑の木の茂っている(しげる)国は、必ず栄え、木の乏しい、秃山や荒野の国は、必ず衰えます。いや、木の茂っていることが国の栄えている印であり、木の乏しいことが国の衰えている印です。過去、現在を通じて、世界の国々の実例がはっきりそのことを示している。文中に「ただ実行によって自分の信念を示すほかはない」とあるが、なぜそう思ったのか()。A自分の考え方は正しくないかもしれないと思ったからB言うのは簡単だが、実行するのは難しいと思ったからC本当のことを言ったら、信じてくれる人が多いと思ったからD自分の考え方を言ったら、みんなにひどく反対されると思ったから
单选题わたしの国はインドのしゅとはデリーです。インドの東にビルマがあります。西にはパキスタンがあります。日本はインドのずっと東のほうにあります。インドはたいへん大きな国です。人口も多いです。そしてインドのれきしはとても古いです。ものがやすくてたべものはたいへんおいしいです。日本よりずっとあつくて、冬でもさむくないです。わたしのかぞくはみんなデリーにいます。わたしは今おおさかにすんでいます。大学のちかくのアパートにすんでいます。スーパーもぎんこうもゆうびんきょくもアパートのちかくにあります。とてもべんりです。アパートには日本人のともだちやがいこくじんのともだちがたくさんいます。みんなしんせつでおもしろい人です。でもわたしはすこしさびしいです。よく国のりょうしんにてがみをかきます。またときどきでんわもかけます。だいがくにはたくさんともだちがいます。毎日とてもたのしいです。先生はとてもしんせつで、じゅぎょうはおもしろいです。インドはどこにありますか。()A日本の左にあります。B日本の東にあります。Cビルマの東にあります。D日本の西にあります。
单选题わたしの国はインドのしゅとはデリーです。インドの東にビルマがあります。西にはパキスタンがあります。日本はインドのずっと東のほうにあります。インドはたいへん大きな国です。人口も多いです。そしてインドのれきしはとても古いです。ものがやすくてたべものはたいへんおいしいです。日本よりずっとあつくて、冬でもさむくないです。わたしのかぞくはみんなデリーにいます。わたしは今おおさかにすんでいます。大学のちかくのアパートにすんでいます。スーパーもぎんこうもゆうびんきょくもアパートのちかくにあります。とてもべんりです。アパートには日本人のともだちやがいこくじんのともだちがたくさんいます。みんなしんせつでおもしろい人です。でもわたしはすこしさびしいです。よく国のりょうしんにてがみをかきます。またときどきでんわもかけます。だいがくにはたくさんともだちがいます。毎日とてもたのしいです。先生はとてもしんせつで、じゅぎょうはおもしろいです。この人のかぞくはどこにいますか。()Aおおさかにいます。B日本にいます。Cデリーにいます。D大学のちかくにいます。
单选题人間の体を機械と(ア)同じように考えることがよくあります。人体も、機械のように心臓や胃や目などの部品が集まってできていると考え、胃がおかしいときには胃という部品が故障したと考えます。したがって、胃を修理すれば、病気が治ったと考えることになります。また、その部品にしても、心臓はポンプで、目はカメラで、脳はコンピューターのようなもの、と考えたりします。そういう、脳はコンピューターと同じに考えるひとは、(イ)コンピューターと同じように働く脳を優れたものと思うようになります。速く正確に計算できたり、なんでもそのままに記憶できたりすることが頭のいいことだ、と考えている人も(ウ)でしょう。(エ)人間は機械と同じなのでしょうか。人間はただの複雑な機械であるだけなのでしょうか。もちろん、人間には機械に似たところもあります。だから、人間のことを機械を研究するように研究するのも無意味ではあるませんが、しかし、(オ)それでわかる事は人間の一面にすぎません。(カ)、アメリカでは1976年の建国200年を記念するつもりで、その何年も前に、火星へのロケット着陸とがん制圧と言う大きな研究目標を立てました。このときまでに科学者が力を合わせて大規模な研究を続けた結果、すでに月旅行に成功していました。(キ)、その月旅行の科学を発展させて、火星ロケットにも成功しました。ところが、一方のがん制圧のほうは期待したような成果をあげることはできませんでした。つまり、機械を作る科学のほうは急速に進歩していきますが、人間の病気を治す科学のほうはそう簡単にはいかないということです。人間は機械と同じではないからです。(ク)人間は「いつも生きるために行動する」という点が機械と違うのです。機械は生きていませんから、生きるために行動するのではありません。文中のエに入れるのに最も適当なものはどれか()A持っていればB持っていなければC持っていてもD持っていなくても
单选题ある日、友だちの吉崎さんが突然「卵は立つと思いますか」と言い出すのです。「立春の卵という話は聞いたことがあるけどね。」「卵は立春であってもなくても立ちます」吉崎さんは断言します。翌日,吉崎さんはいくつかの卵を持って来ました。机の上で卵を立てようとする。コロンブス(哥伦布)はゆで卵(煮鸡蛋)の先を潰して立てたそうですが、吉崎さんは、生のままの卵を、そのままの形で立てようとしている。1分、2分、やはりだめじゃないかと言おうとしたその瞬間、卵は立ったのです。吉崎さんは満足そうに笑っています。「なるほど、立つのか。」家に帰って。冷蔵庫から卵を取り出して実験を繰り返しました。焦っていると、なかなか立たない。心を静かにして落ち着いてやると、やはり立つのです。全部ではないが、いくつかは、立ちました。机の上にすっきりした形で立つ卵をじっと見ながら、わたしはこう考えました。先入観(先入为主)というのは(ア)ものです。コロンブスの卵の話があるために卵は細工(加工)をしないと立たないという思い込み(深信不疑)が広がりました。それと、立春の卵の話が重なります。立春のころになると、ときどきそのことが話題になります。すると、おかしなことに人々はこう思い込んでしまったのです。「立春の日に立つか立たないかが話題になる、ということは立春の日以外は当然、卵は立たないのだ」と。文中に「わたしはこう考えました」とあるが、考えたことはどれか()。A卵が立つなんて、どうしても考えられない。B卵が立つという事実を発見してうれしい。C卵が立たないという先入観はいけない。D卵が立つわけない。
单选题ある日、友だちの吉崎さんが突然「卵は立つと思いますか」と言い出すのです。「立春の卵という話は聞いたことがあるけどね。」「卵は立春であってもなくても立ちます」吉崎さんは断言します。翌日,吉崎さんはいくつかの卵を持って来ました。机の上で卵を立てようとする。コロンブス(哥伦布)はゆで卵(煮鸡蛋)の先を潰して立てたそうですが、吉崎さんは、生のままの卵を、そのままの形で立てようとしている。1分、2分、やはりだめじゃないかと言おうとしたその瞬間、卵は立ったのです。吉崎さんは満足そうに笑っています。「なるほど、立つのか。」家に帰って。冷蔵庫から卵を取り出して実験を繰り返しました。焦っていると、なかなか立たない。心を静かにして落ち着いてやると、やはり立つのです。全部ではないが、いくつかは、立ちました。机の上にすっきりした形で立つ卵をじっと見ながら、わたしはこう考えました。先入観(先入为主)というのは(ア)ものです。コロンブスの卵の話があるために卵は細工(加工)をしないと立たないという思い込み(深信不疑)が広がりました。それと、立春の卵の話が重なります。立春のころになると、ときどきそのことが話題になります。すると、おかしなことに人々はこう思い込んでしまったのです。「立春の日に立つか立たないかが話題になる、ということは立春の日以外は当然、卵は立たないのだ」と。文中に「重なります」とあるが、重なるものはどれか()。A生の卵の話とゆで卵の話B立つ卵の話と立たない卵の話C先を潰した卵の話と細工した卵の話。Dコロンブスの卵の話と立春の卵の話
单选题「わが国にとってこんな悪い時はない」と、みんなは嘆(なげ)きました。ダルガス(人名)もそれを否定することはできませんでした。しかし、「祖国の復興には、こんなよい時はない」と、彼が固く信じていました。もちろん、それをはっきり口に出して言うことはできませんでした。そんなことを言ったら、戦争に負けたことを喜んでいると、ののしられた(被骂)でしょう。彼は、ただ実行によって自分の信念を示すほかはないと思いました。それで彼は「まったくわが国にとって(ア)時だ。だが、われわれは外に失ったものを内に取り返す(弥补)ことはできる。われわれの生きている間に、(イ)。」と言っていました。ダルガスは、祖国の復興はまず木からだと思いました。緑の木の茂っている(しげる)国は、必ず栄え、木の乏しい、秃山や荒野の国は、必ず衰えます。いや、木の茂っていることが国の栄えている印であり、木の乏しいことが国の衰えている印です。過去、現在を通じて、世界の国々の実例がはっきりそのことを示している。文中の「そのこと」の指すのは()どれかA戦争に負けた祖国の復興B過去、現在の世界の国々の実例C祖国の復興はまず教育から実行することD国の栄衰は木が茂っているかどうかによって反映されること
单选题人間の体を機械と(ア)同じように考えることがよくあります。人体も、機械のように心臓や胃や目などの部品が集まってできていると考え、胃がおかしいときには胃という部品が故障したと考えます。したがって、胃を修理すれば、病気が治ったと考えることになります。また、その部品にしても、心臓はポンプで、目はカメラで、脳はコンピューターのようなもの、と考えたりします。そういう、脳はコンピューターと同じに考えるひとは、(イ)コンピューターと同じように働く脳を優れたものと思うようになります。速く正確に計算できたり、なんでもそのままに記憶できたりすることが頭のいいことだ、と考えている人も(ウ)でしょう。(エ)人間は機械と同じなのでしょうか。人間はただの複雑な機械であるだけなのでしょうか。もちろん、人間には機械に似たところもあります。だから、人間のことを機械を研究するように研究するのも無意味ではあるませんが、しかし、(オ)それでわかる事は人間の一面にすぎません。(カ)、アメリカでは1976年の建国200年を記念するつもりで、その何年も前に、火星へのロケット着陸とがん制圧と言う大きな研究目標を立てました。このときまでに科学者が力を合わせて大規模な研究を続けた結果、すでに月旅行に成功していました。(キ)、その月旅行の科学を発展させて、火星ロケットにも成功しました。ところが、一方のがん制圧のほうは期待したような成果をあげることはできませんでした。つまり、機械を作る科学のほうは急速に進歩していきますが、人間の病気を治す科学のほうはそう簡単にはいかないということです。人間は機械と同じではないからです。(ク)人間は「いつも生きるために行動する」という点が機械と違うのです。機械は生きていませんから、生きるために行動するのではありません。文中の(エ)に入れるのに最も適当なものはどれか()。AだからBそしてCしかしDつまり
单选题初めて人前で話をした時のことである。200人もの聴衆(ちょうしゅう)を相手に円説するということが、どんなに恐ろしいものか、壇上(讲台上)に立って初めて分かった。テーブルの上には原稿を広げていたし、それを見ながらしゃべり出していた。しかし、まるで雲に向かって話をしているような感じだった。わたしの話を理解してくれる人が得られるのだろうか。(ア)、話しているうちに、ふと()気づいた。会場のあちこちに、柔らかく光るものがあったのだ。その「光」は人の目であった。とたんに(瞬间)不安感は消えた。この「まなざし(目光)」を相手に、素直に(坦率地)話し続ければいいのだと思った。自分の声に自信が出るのを感じた。話をなんとか予定の時間どおりにすることができた。そして大きな拍手までいただいた。初めて力を与えてくれた何人かの「まなざし」は、相手を知ろう、理解しようという心の現われだったに違いない。その心によってわたしは守られた。飾りを捨てて、ありのまま自分を見せながら語ることができた。それで初めて聴衆の多くと心を通い合わせるチャンスを得たのだ。人は自分を分かってくれようとしている相手に対して、心を開くものだ。だから、相手に分かってもらいたければ、まず相手を分かろうとするところから出発すべきだろう。30分間の壇上の体験で、わたしは大切なことを学んだ。それ以来、どんな人にも「あなたを理解したい」という心を、できるだけ「まなざし」に表すことにしている。大勢の聴衆(ちょうしゅう)の前で初めて話をし始めた時の筆者の気持ちはどれか()。A得意B不安C不満D後悔
单选题外出時、一番疲れるのは体のどの部分かと問われれば、それは日本の場合、間違いなく耳である。車や工事の音なら仕方ないとも思えるが、我慢できないのは一方的に浴びせられる音楽である。最寄りの駅に着くまでにも、商店街全体に設置されたスピーカーから流している曲、各商店やファーストフード(快餐)店等が店の外に向けて流している曲を最低5,6曲は聞かされる。しかもそれらは混ざり合って、全くわけがわからない。商店主は音楽を流すと客が寄ってくると信じているようだ。JRに乗れば各駅を発車するたびに流される珍妙な音楽。しかも音質が悪くてスピーカーが割れそうな音がしている。昔の発車ベルの方が(ア)。かえってあの無機的な音のほうが音楽よりも耳障り(刺耳)ではなかった。しかも最近、駅のコンコース(大厅)にBGM(背景音乐)を流しているところもあり、この先、電車の中にも音楽を流そうなんてことにならぬよう、祈るような気持ちである。ちょっと腹ごしらえと飲食店に入れば、ここでもBGMが。ボリュームが大きければ大きいほど客の話し声も大きくなるので、若者向きの店では客同士がほとんど怒鳴り合っている。こんな状況の後音楽会に行ったとしても、耳はすでに「使用済み」のようなもの。特に微小なピアニッシモ(弱音)を味わうのはほとんど無理と言ってよい。ある公立ホールのアドバイザーをした時、最寄り駅の「発車音楽」を含むすべてのスピーカー使用をやめてもらうこと、駅からホールまでの商店の店外に設置されたスピーカーの撤去、付近の飲食店でのBGMストップ要請(要求)を提案したが、ダメだった。ホールという「点」だけでなく周辺の環境まで考えてはじめて「文化都市」づくりができると思ったのだが。文中に「祈るような気持ち」とあるが、祈ることは何か()Aすべての駅のコンコースにBMGを流してほしいことBこの先、電車に音楽を流すことにならないでほしいことC電車の中には大きな音で音楽を流してほしいことD電車や駅のコンコースでは好きな音楽だけを流してほしいこと