单选题大学に入って勉強している人が、高卒で働いている人を見下すことがあるが、それは大きな過ちだ。学生はそういう人たちに勉強()のだ。大学を支えているのは、働いている人たちの税金なのだから。AさせていただいているBしていただいているCさせられているDさせてくださった

单选题
大学に入って勉強している人が、高卒で働いている人を見下すことがあるが、それは大きな過ちだ。学生はそういう人たちに勉強()のだ。大学を支えているのは、働いている人たちの税金なのだから。
A

させていただいている

B

していただいている

C

させられている

D

させてくださった


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緑の中にいれば落ち着き、安心だ。なぜだろう。わたしたちは高等なサル(猿、猴子)だから。サル類の生態的特徴は森の中で木の上に住んでいることである。前後左右を全部緑に囲まれ、その中で適応してきて、緑の中にいると安心だという感覚が、われわれの本性の中に、生まれながらあったのだと思う。人間にとって、森は(ア)生産資源である。(イ)環境資源でもある。(ウ)文化的な資源でもある。残念ながら日本ではこれまで文化的な利用の面が西欧に比べてとても低調だった。森の文化というと難しいようだが、川遊びと同じように、森遊びがあっていいと思うのである。特に子どもたちを森に誘いたい。本来子どもは、みな野生の力を持っている。それが強い教育管理の下で抑圧されている感じがする。草も木も虫も魚も命を持つものである。命あるものとの対話の楽しさを、子どもたちに知ってほしいのである。われわれの内にある自然が外の自然と触れ合って、いろいろな余韻を奏でていく。それが森遊びの楽しさである。その中で子どもの野生の力が出てくるはずだと思う。文中の(ア)(イ)(ウ)にそれぞれ入れるのに最も適当なものはどれか()A、そして第一にさらにB、第一にそしてさらにC、第一にさらにそしてD、さらに第一にそして

初めて人前で話をした時のことである。200人もの聴衆(ちょうしゅう)を相手に円説するということが、どんなに恐ろしいものか、壇上(讲台上)に立って初めて分かった。テーブルの上には原稿を広げていたし、それを見ながらしゃべり出していた。しかし、まるで雲に向かって話をしているような感じだった。わたしの話を理解してくれる人が得られるのだろうか。(ア)、話しているうちに、ふと()気づいた。会場のあちこちに、柔らかく光るものがあったのだ。その「光」は人の目であった。とたんに(瞬间)不安感は消えた。この「まなざし(目光)」を相手に、素直に(坦率地)話し続ければいいのだと思った。自分の声に自信が出るのを感じた。話をなんとか予定の時間どおりにすることができた。そして大きな拍手までいただいた。初めて力を与えてくれた何人かの「まなざし」は、相手を知ろう、理解しようという心の現われだったに違いない。その心によってわたしは守られた。飾りを捨てて、ありのまま自分を見せながら語ることができた。それで初めて聴衆の多くと心を通い合わせるチャンスを得たのだ。人は自分を分かってくれようとしている相手に対して、心を開くものだ。だから、相手に分かってもらいたければ、まず相手を分かろうとするところから出発すべきだろう。30分間の壇上の体験で、わたしは大切なことを学んだ。それ以来、どんな人にも「あなたを理解したい」という心を、できるだけ「まなざし」に表すことにしている。文中に「わたしは大切なことを学んだ」とあるが、学んだことはどれか()。A、聞いてくれる人が多くなくても、最後まで自信を持って話すことB、自分の話を理解してくださった聴衆に感謝しなければならないことC、相手にわかってもらいたければ、相手を分かろうと努力することD、大勢の聴衆の前で話をする時、原稿を見ながら話してはいけないこと

多くの人が数学の才能があるかないかと言うことを学生時代の数学のテストの点数で論じているのだ。しかし、小学校の算数から始まって、大学までの数学を理解するのに、才能も何も関係ない。それを理解する能力は、日常生活をきちんと遅れる能力とあまり変わらない。そう私は思っている。「数学の才能」と呼ぶのにふさわしい能力の持ち主は、歴史に名前を残しているような大数学者のことを言うのであって、百年に1人いるかいないかだというのが私の考えなのだ。では「大学程度までの数学を理解する能力」、すなわち「日常生活をきちんと送れる能力」とは、どんな能力だろうか?大体次の四つのことができる能力と考えればいいだろう。それができれば、後は努力によるものである。その四つとは、「辞書を引くことができる」、「自分のかばんを自分のロッカーに入れられる」、「料理を作れる」、「地図を描ける」である。なぜ、これらの能力があれば大学までの数学は理解できると言えるのか。例えば、「英語の辞書が引ける」ということは、アルファベット(英文字母)26文字の順序関係を理解できることだ。「自分のロッカーが使える」ということは、すなわち、「一対一」対応の考え方を理解できるということだ。「料理を作れる」ことは、ものを観察し、予測する力があることを意味し、「地図を描ける」ことは、線や記号を使って実際の空間を平面にする能力、すなわち、抽象化する能力を意味しているのだ。だから、これらの四つの能力があるのに、数学ができないという人は、数学を理解する能力がないということではなくて、単に努力をせず、怠けていただけだと思うのだ。四つの能力が合っても数学ができない人はどれか()。A、努力せず怠けていた人B、まじめに勉強し頑張った人C、抽象化することができない人D、対応の考え方を理解できない人

あるところに2人の野球の好きな男がいました。あるとき、2人は自分たちが死んで天国へ(ア)野球ができるだろうかと話し合いました。「(イ)先に死んだ(ウ)方が何とかして地上に戻ってきて、(エ)そのことを相手に知らせようじゃないか。」と2人はかたい約束をしました。それから1年経ったとき、1人が突然亡くなって、相手をがっかりさせました。ある日のことです。生き残った男が道を歩いていると、だれか肩をたたく者があります。辺りを見回しても(オ)。そのとき(カ)懐かしい声を聞きました。「きみの古い友達だよ。約束通り戻ってきた。」「さあ、教えてくれ。天国で野球ができるのか。」「いいニュースと悪いニュースがあると言った方がいいな。いいニュースから話そう。天国でも野球はできるよ。」「そりゃすごい。で、悪い方は。」「(キ)今週の金曜日にきみが先発投手(第一个上场的头球手)に決まったことだ。」文中の(エ)の「そのこと」の指す内容はどれか()。A、どちらが先に天国に行くかということB、地上に戻ってきたことC、天国の野球がおもしろいかどうかということD、天国で野球ができるかどうかということ

日本人の生活習慣も時代とともに変わっていく。ほんの少し前までは,春や秋になると,畳を乾燥させるために家の中から畳を外に出す光景があちこちで見られたものであり,どんなに忙しい生活をしている人でもこれだけは続けてきた。畳は暮らしの中に季節感を作り出していたのである。が,最近では畳がだんだん見られなくなってきている。畳の上に座る,畳の上で家族みんなで食卓を囲む,畳の上に布団を敷いて寝る。客が来れば,その畳の上に手をついてあいさつをする。それが当たり前だった生活はつい昨日のようなことである。畳は日常生活とともにあったのである。畳という言葉は,古い時代の文字や記録にも出ている。昔から日本人の生活の中にあったものと考えてよいのであろうが,そのころは床に敷く布や毛布のようなものを「たたみ」と呼んでいたらしい。(ア),使わないときは畳んでしまっていた。つまり,「畳む」ものだから畳という言葉が生まれたのだろうと思われる。また,昔の詩の中に,「旅に出た人の使っていた畳は動かしても汚してもならない」とある。なぜなら人は旅に出ているときでも故郷に自分の心を残しており,その心は畳の上にも残っている。その畳を留守の間に大事にしないと,旅で危険な目にあったり(遇险),病気になったりする,と信じられていたからだ。昔は畳は自分一人だけで使うものだったのである。やがて時代は変わり,畳はだんだん現在のような形と大きさのものになっていく。1人の人が寝られるぐらいの大きさが畳の標準となり,それに合わせて部屋の大きさも決められるようになったのである。最近ではすっかり目立たなくなった畳も長い歴史を持ち,日本の生活文化と深いつながり(关系)を持っているのである。畳の大きさの決められた基準はどれか()。A、昔の布1枚の大きさB、1人の人が寝るときに必要な広さC、昔の人の標準的な背の高さD、旅のとき自分一人で持てる重さ

現代科学の発達は、わたしたちの生活に大きな変化を与えている。子供たちの教育にとっても今まででは考えられないような影響がある。今から50年ほど前、テレビは一般の家庭ではまだ見ることができなかった。当時の子供たちの遊ぶ場所は、家の中ではなく、原っぱ(野地)や空き地、それから今ほど車が多くなかった道路であった。そこで子供たちは友達と遊びながら、知らず知らずのうちにいわゆる社会勉強もしてきたのだ。時が経ち、テレビが普及するようになると、子供たちはあまり外へ出なくなった。外はビルが立ち並び、道路は車が頻繁通るようになった。外で遊びたくても遊ぶ場所がない。そしてパソコン時代の今、一日中の中でインターネットやメールをしている子供が増えている。A.Tの普及によって、わたしたちの生活は非常に便利になった。(ア)、子供の教育という点で見るとどうだろう。昔のような社会勉強はできなくなってしまった。生まれた時からインターネットや携帯電話のある世界で育つ今の子供たちがどういう大人になっていくのか、興味深い。それと同時に想像できない恐怖を感じるのはわたしだけだろうか。文中に「社会勉強」とあるが、何によって社会勉強ができたのか()。A、テレビで勉強することB、原っぱや空き地で1人で遊ぶことC、友達と一緒に遊ぶことD、友達と一緒に勉強すること

現代科学の発達は、わたしたちの生活に大きな変化を与えている。子供たちの教育にとっても今まででは考えられないような影響がある。今から50年ほど前、テレビは一般の家庭ではまだ見ることができなかった。当時の子供たちの遊ぶ場所は、家の中ではなく、原っぱ(野地)や空き地、それから今ほど車が多くなかった道路であった。そこで子供たちは友達と遊びながら、知らず知らずのうちにいわゆる社会勉強もしてきたのだ。時が経ち、テレビが普及するようになると、子供たちはあまり外へ出なくなった。外はビルが立ち並び、道路は車が頻繁通るようになった。外で遊びたくても遊ぶ場所がない。そしてパソコン時代の今、一日中の中でインターネットやメールをしている子供が増えている。A.Tの普及によって、わたしたちの生活は非常に便利になった。(ア)、子供の教育という点で見るとどうだろう。昔のような社会勉強はできなくなってしまった。生まれた時からインターネットや携帯電話のある世界で育つ今の子供たちがどういう大人になっていくのか、興味深い。それと同時に想像できない恐怖を感じるのはわたしだけだろうか。今の子供たちが外で遊べない理由はどれか()。A、外で遊ぶ場所がないからB、テレビが普及しているからC、家の中で勉強ばかりしているからD、インターネットばかりしているから

実力テスト受けたがらない学生がいる。その理由を聞くと、「もう少し実力を付けてから受けたい」と言う。気持ちは分からないでもない。でも、そんなふうに思っていると、いつまでも受けられない。例えば、着物の着方を習っている人が、上手になったら着物を着て出かけようと思う。しかし、どの程度で上手になったと言えるのか、判断ができない。それよりもまず着物を着て出掛けてみるといい。(ア)、ちょっと緊張するような場所に。もし最後まで着崩れ(穿走样)しなければ、それで自信がつく。語学にしても、まずはレベルに合わせて使ってみることだ。笑われても気にしない。そうしているうちにレベルも上がってくる。料理も同様、(イ)。批判されながら腕(本领)を磨けばいいのだから。文章の内容とあっているものはどれか()。A、物事は実際にやっているうちに上手になるものだ。B、何事でも実際にやる前にちゃんと準備する必要がある。C、何事も人に批判されると、自信がなくなってしまう。D、物事は下手でもやると、人に迷惑をかける。

ニュースは、新聞だけではなくテレビで知ることもできます。じゃあ、新聞なんか読まなくても、テレビを見ればいいじゃないか。そのほうが楽だし速いじゃないか。そんなふうに考える人もいるかもしれません。でもやはり、ぼくは新聞を読んでほしいと思います。新聞には、テレビにないよさがあると思うからです。テレビというのは、映像と音が組み合わさっています。見る側は、目とか耳とかの感覚を働かせることになります。テレビの前に座っていると、感覚に訴える要素が次々に現れ、次々に消え、移っていくわけです。これはテレビの特色ですが、同時に欠陥でもあります。ときどきこちらが考えさせられるようなことを言ったり、興味深い画像が出てきたりしますが、あっと思ったらもう次に移ってしまい、よほど印象深いもの以外は思い出しません。それに対して新聞、(ア)活字の場合は、立ち止まって(停下来)考えることができます。それだけではなく、さらにその先へ考えを進めることができる。想像を広げたり、新しい着想を得たりということが可能なのです。映像から得る感覚的な刺激は、(イ)だけで終わってしまうことが多いのですが、活字の場合は、新しい何かを付け加えたり、まったく違うものを創り出したりということがしやすいのです。この文章の内容に最も合っているものはどれか()A、ニュースを知るには、新聞より速くて楽なテレビのほうがよい。B、ニュースは新聞だけではなくテレビで知ることもできるので、どちらも見るべきだ。C、立ち止まって考えることができる新聞には、すぐに消えてしまうテレビにはないよさがある。

勉強、勉強といっても、ただ勉強する時間が多ければ良い()。効率の良い勉強方法を工夫しなければ良い成績にはつながらない。A、きらいがあるB、といったらないC、というにはあたらないD、というのもでもない

ニュースは、新聞だけではなくテレビで知ることもできます。じゃあ、新聞なんか読まなくても、テレビを見ればいいじゃないか。そのほうが楽だし速いじゃないか。そんなふうに考える人もいるかもしれません。でもやはり、ぼくは新聞を読んでほしいと思います。新聞には、テレビにないよさがあると思うからです。テレビというのは、映像と音が組み合わさっています。見る側は、目とか耳とかの感覚を働かせることになります。テレビの前に座っていると、感覚に訴える要素が次々に現れ、次々に消え、移っていくわけです。これはテレビの特色ですが、同時に欠陥でもあります。ときどきこちらが考えさせられるようなことを言ったり、興味深い画像が出てきたりしますが、あっと思ったらもう次に移ってしまい、よほど印象深いもの以外は思い出しません。それに対して新聞、(ア)活字の場合は、立ち止まって(停下来)考えることができます。それだけではなく、さらにその先へ考えを進めることができる。想像を広げたり、新しい着想を得たりということが可能なのです。映像から得る感覚的な刺激は、(イ)だけで終わってしまうことが多いのですが、活字の場合は、新しい何かを付け加えたり、まったく違うものを創り出したりということがしやすいのです。文中に「その先へ考えを進めることができる」とあるが、誰ができるのか()。A、新聞を読む人たちB、新聞を作る人たちC、活字を使う人たちD、テレビを見る人たち

问答题ずいぶん昔、中学か高校の頃、「面影橘」という歌をラジオで聴いたことがあった。夜中にラジオをつけっぱなしにして勉強をしている時に、偶然耳に飛び込んできたのだ。もう誰が歌っていたのかも、正確な歌詞も覚えていない。ただ、その少し憂愁を帯びたメロディーと、「面影橋」という妙に心をくすぐるような名前の響きだけが記憶に残っていた。 その「面影橋」が実際に存在することを知ったのは、僕が大学に入った年だった。なんと、僕が通うことになった大学のすぐ近くに、それはあったのである。実際に行ってみると、その橋は、想像していたものとはずいぶん違っていた。それは別に何ということはない、ただ本当に川を渡るためにだけ架けられたような、風情も何もない橋だった。このような橋は、東京市内のどこにでもあるごくありふれたものだった。しかし欄干の柱には、確かに「面影橋」と書かれている。

问答题第37篇 満員電車で、乗客たちの行動を見ていて気がついたことがある。それは、このおびただしい数の、押しつぶされた人間たちが、例外なしに無表情で、しかも無言だ、という事実である。みんな、むっつりと黙って、つまらなそうな顔をしている。

单选题現代科学の発達は、わたしたちの生活に大きな変化を与えている。子供たちの教育にとっても今まででは考えられないような影響がある。今から50年ほど前、テレビは一般の家庭ではまだ見ることができなかった。当時の子供たちの遊ぶ場所は、家の中ではなく、原っぱ(野地)や空き地、それから今ほど車が多くなかった道路であった。そこで子供たちは友達と遊びながら、知らず知らずのうちにいわゆる社会勉強もしてきたのだ。時が経ち、テレビが普及するようになると、子供たちはあまり外へ出なくなった。外はビルが立ち並び、道路は車が頻繁通るようになった。外で遊びたくても遊ぶ場所がない。そしてパソコン時代の今、一日中の中でインターネットやメールをしている子供が増えている。A.Tの普及によって、わたしたちの生活は非常に便利になった。(ア)、子供の教育という点で見るとどうだろう。昔のような社会勉強はできなくなってしまった。生まれた時からインターネットや携帯電話のある世界で育つ今の子供たちがどういう大人になっていくのか、興味深い。それと同時に想像できない恐怖を感じるのはわたしだけだろうか。文中に「社会勉強」とあるが、何によって社会勉強ができたのか()。Aテレビで勉強することB原っぱや空き地で1人で遊ぶことC友達と一緒に遊ぶことD友達と一緒に勉強すること

单选题日本人の生活習慣も時代とともに変わっていく。ほんの少し前までは,春や秋になると,畳を乾燥させるために家の中から畳を外に出す光景があちこちで見られたものであり,どんなに忙しい生活をしている人でもこれだけは続けてきた。畳は暮らしの中に季節感を作り出していたのである。が,最近では畳がだんだん見られなくなってきている。畳の上に座る,畳の上で家族みんなで食卓を囲む,畳の上に布団を敷いて寝る。客が来れば,その畳の上に手をついてあいさつをする。それが当たり前だった生活はつい昨日のようなことである。畳は日常生活とともにあったのである。畳という言葉は,古い時代の文字や記録にも出ている。昔から日本人の生活の中にあったものと考えてよいのであろうが,そのころは床に敷く布や毛布のようなものを「たたみ」と呼んでいたらしい。(ア),使わないときは畳んでしまっていた。つまり,「畳む」ものだから畳という言葉が生まれたのだろうと思われる。また,昔の詩の中に,「旅に出た人の使っていた畳は動かしても汚してもならない」とある。なぜなら人は旅に出ているときでも故郷に自分の心を残しており,その心は畳の上にも残っている。その畳を留守の間に大事にしないと,旅で危険な目にあったり(遇险),病気になったりする,と信じられていたからだ。昔は畳は自分一人だけで使うものだったのである。やがて時代は変わり,畳はだんだん現在のような形と大きさのものになっていく。1人の人が寝られるぐらいの大きさが畳の標準となり,それに合わせて部屋の大きさも決められるようになったのである。最近ではすっかり目立たなくなった畳も長い歴史を持ち,日本の生活文化と深いつながり(关系)を持っているのである。文中の「これ」を指す意味はどれか()。A忙しい生活をすることB畳を外に出して干すことCあちこちで畳が見られることD生活習慣が時代とともに変わること

单选题日本人の生活習慣も時代とともに変わっていく。ほんの少し前までは,春や秋になると,畳を乾燥させるために家の中から畳を外に出す光景があちこちで見られたものであり,どんなに忙しい生活をしている人でもこれだけは続けてきた。畳は暮らしの中に季節感を作り出していたのである。が,最近では畳がだんだん見られなくなってきている。畳の上に座る,畳の上で家族みんなで食卓を囲む,畳の上に布団を敷いて寝る。客が来れば,その畳の上に手をついてあいさつをする。それが当たり前だった生活はつい昨日のようなことである。畳は日常生活とともにあったのである。畳という言葉は,古い時代の文字や記録にも出ている。昔から日本人の生活の中にあったものと考えてよいのであろうが,そのころは床に敷く布や毛布のようなものを「たたみ」と呼んでいたらしい。(ア),使わないときは畳んでしまっていた。つまり,「畳む」ものだから畳という言葉が生まれたのだろうと思われる。また,昔の詩の中に,「旅に出た人の使っていた畳は動かしても汚してもならない」とある。なぜなら人は旅に出ているときでも故郷に自分の心を残しており,その心は畳の上にも残っている。その畳を留守の間に大事にしないと,旅で危険な目にあったり(遇险),病気になったりする,と信じられていたからだ。昔は畳は自分一人だけで使うものだったのである。やがて時代は変わり,畳はだんだん現在のような形と大きさのものになっていく。1人の人が寝られるぐらいの大きさが畳の標準となり,それに合わせて部屋の大きさも決められるようになったのである。最近ではすっかり目立たなくなった畳も長い歴史を持ち,日本の生活文化と深いつながり(关系)を持っているのである。文中の「病気になったりする」人はだれか()。A旅に出た人B家にいる人C畳を汚した人D畳を動かした人

单选题ある日、友だちの吉崎さんが突然「卵は立つと思いますか」と言い出すのです。「立春の卵という話は聞いたことがあるけどね。」「卵は立春であってもなくても立ちます」吉崎さんは断言します。翌日,吉崎さんはいくつかの卵を持って来ました。机の上で卵を立てようとする。コロンブス(哥伦布)はゆで卵(煮鸡蛋)の先を潰して立てたそうですが、吉崎さんは、生のままの卵を、そのままの形で立てようとしている。1分、2分、やはりだめじゃないかと言おうとしたその瞬間、卵は立ったのです。吉崎さんは満足そうに笑っています。「なるほど、立つのか。」家に帰って。冷蔵庫から卵を取り出して実験を繰り返しました。焦っていると、なかなか立たない。心を静かにして落ち着いてやると、やはり立つのです。全部ではないが、いくつかは、立ちました。机の上にすっきりした形で立つ卵をじっと見ながら、わたしはこう考えました。先入観(先入为主)というのは(ア)ものです。コロンブスの卵の話があるために卵は細工(加工)をしないと立たないという思い込み(深信不疑)が広がりました。それと、立春の卵の話が重なります。立春のころになると、ときどきそのことが話題になります。すると、おかしなことに人々はこう思い込んでしまったのです。「立春の日に立つか立たないかが話題になる、ということは立春の日以外は当然、卵は立たないのだ」と。文中に「わたしはこう考えました」とあるが、考えたことはどれか()。A卵が立つなんて、どうしても考えられない。B卵が立つという事実を発見してうれしい。C卵が立たないという先入観はいけない。D卵が立つわけない。

单选题イヌは飼う人が「こっちへおいで」と呼べば,たいていはちゃんとやってくるが,ネコはそんなことはない。いくら「おいで,おいで」と言っても,ちょっとこっちを見ただけで,ぜんぜん寄ってこようとはしない。ぼくの家に6匹もネコがいたころ,春や秋の日曜日の昼には,庭の奥でバーベキュー(露天烧烤)をすることがよくあった。すると,まもなくネコたちはみんな家の中から出てきて,ぼくらのいる庭の隅にやってくる。けれどイヌのようにぼくらの足もとに(ア)。近くの物置の上や塀の上に勝手に座りこんだりして,ぼくらの方を見ている。そして,とても満足そうな顔をしているのだ。かれらは人間といっしょにというか,人間の近くにいたいのである。(イ)ぼくらが留守中のネコの世話を近所の友だちに頼んで,2日ばかり旅行に出かけようとしていると,非常に不安そうな様子になる。ぼくらの気配(情性,迹象)で何か察知しているとしか思えないのである。文中に「とても満足そうな顔をしている」とあるが,その原因はどれか()。A自由に行動できるからB人間の近くにいられるからCおいしい料理が食べられるからD勝手に座りこんだりすることができるから

单选题現代科学の発達は、わたしたちの生活に大きな変化を与えている。子供たちの教育にとっても今まででは考えられないような影響がある。今から50年ほど前、テレビは一般の家庭ではまだ見ることができなかった。当時の子供たちの遊ぶ場所は、家の中ではなく、原っぱ(野地)や空き地、それから今ほど車が多くなかった道路であった。そこで子供たちは友達と遊びながら、知らず知らずのうちにいわゆる社会勉強もしてきたのだ。時が経ち、テレビが普及するようになると、子供たちはあまり外へ出なくなった。外はビルが立ち並び、道路は車が頻繁通るようになった。外で遊びたくても遊ぶ場所がない。そしてパソコン時代の今、一日中の中でインターネットやメールをしている子供が増えている。A.Tの普及によって、わたしたちの生活は非常に便利になった。(ア)、子供の教育という点で見るとどうだろう。昔のような社会勉強はできなくなってしまった。生まれた時からインターネットや携帯電話のある世界で育つ今の子供たちがどういう大人になっていくのか、興味深い。それと同時に想像できない恐怖を感じるのはわたしだけだろうか。筆者はA.Tの普及のついてどう思っているのか()。A子どもの教育に便利で必要なものだと思っている。Bテレビよりも子どもたちへの影響が少ないと思っている。C子どもたちの遊ぶ場所がなくなって、強い恐怖を感じている。D子どもが昔のような社会勉強ができなくなって、不安を感じている。

单选题社会に出ていろいろな人を見ていると、素直な(老实的,纯朴的)人のほうが伸びています。子どもは素直なほうがいいけれど、あまりにも素直な子どもは世の中で通用しないのではないかと心配する親がいますが、まったく杞憂(杞人忧天)のです。むしろ(不如说)、素直な人でないと成功できません。なぜでしょうか。素直な人は自分の能力や努力だけでは、(ア)ことを理解しています。人に助けられて仕事が進んでいることを知っています。そこから感謝の言葉が湧いてきます。子どもの口から「ありがとう」が自然に出てくるように、幼いときから繰り返し教えましょう。プレゼントをくれた人だけではなく、勉強を教えてくれた人、助けてくれた人……、いろいろな機会に「ありがとう」というようにして、人は支えられて生きていることを実感させましょう。アメリカは、自分に自信を持ち、自分の長所を伸ばすように励ます国ですが、(イ)子どもたちは幼いころから感謝の言葉をきちんと言えるように訓練を受けます。成長してからも他人のアドバイスを虚心に聞き、「われ以外、みな我が師」という精神で人と接すれば,さらにいろいろなアドバイスを受けることができます。強いリーダーになる要件には、人の弱みや不安定な点を見つけ、相手を脅かし(胁迫)、恐れさせるずるさを持たなければならないという考え方もあります。相手と競争しなければならないときは、(ウ)。しかし,強いリーダーになる前に、よいリーダーとなれるような人間的成長が必要です。そのためにも,子どものうちから親のアドバイスに従う習慣をつけましょう。文中の「そのため」は何のためか()。A相手を脅かすためB相手を恐れさせるためC人間的成長ができるためD人の弱みや不安定な点を見つけるため

单选题社会に出ていろいろな人を見ていると、素直な(老实的,纯朴的)人のほうが伸びています。子どもは素直なほうがいいけれど、あまりにも素直な子どもは世の中で通用しないのではないかと心配する親がいますが、まったく杞憂(杞人忧天)のです。むしろ(不如说)、素直な人でないと成功できません。なぜでしょうか。素直な人は自分の能力や努力だけでは、(ア)ことを理解しています。人に助けられて仕事が進んでいることを知っています。そこから感謝の言葉が湧いてきます。子どもの口から「ありがとう」が自然に出てくるように、幼いときから繰り返し教えましょう。プレゼントをくれた人だけではなく、勉強を教えてくれた人、助けてくれた人……、いろいろな機会に「ありがとう」というようにして、人は支えられて生きていることを実感させましょう。アメリカは、自分に自信を持ち、自分の長所を伸ばすように励ます国ですが、(イ)子どもたちは幼いころから感謝の言葉をきちんと言えるように訓練を受けます。成長してからも他人のアドバイスを虚心に聞き、「われ以外、みな我が師」という精神で人と接すれば,さらにいろいろなアドバイスを受けることができます。強いリーダーになる要件には、人の弱みや不安定な点を見つけ、相手を脅かし(胁迫)、恐れさせるずるさを持たなければならないという考え方もあります。相手と競争しなければならないときは、(ウ)。しかし,強いリーダーになる前に、よいリーダーとなれるような人間的成長が必要です。そのためにも,子どものうちから親のアドバイスに従う習慣をつけましょう。筆者はだれを対象にこの文章を書いたのだろうか()。A親B強いリーダーになりたい人C成功したい人Dよいリーダーになりたい人

单选题初めて人前で話をした時のことである。200人もの聴衆(ちょうしゅう)を相手に円説するということが、どんなに恐ろしいものか、壇上(讲台上)に立って初めて分かった。テーブルの上には原稿を広げていたし、それを見ながらしゃべり出していた。しかし、まるで雲に向かって話をしているような感じだった。わたしの話を理解してくれる人が得られるのだろうか。(ア)、話しているうちに、ふと()気づいた。会場のあちこちに、柔らかく光るものがあったのだ。その「光」は人の目であった。とたんに(瞬间)不安感は消えた。この「まなざし(目光)」を相手に、素直に(坦率地)話し続ければいいのだと思った。自分の声に自信が出るのを感じた。話をなんとか予定の時間どおりにすることができた。そして大きな拍手までいただいた。初めて力を与えてくれた何人かの「まなざし」は、相手を知ろう、理解しようという心の現われだったに違いない。その心によってわたしは守られた。飾りを捨てて、ありのまま自分を見せながら語ることができた。それで初めて聴衆の多くと心を通い合わせるチャンスを得たのだ。人は自分を分かってくれようとしている相手に対して、心を開くものだ。だから、相手に分かってもらいたければ、まず相手を分かろうとするところから出発すべきだろう。30分間の壇上の体験で、わたしは大切なことを学んだ。それ以来、どんな人にも「あなたを理解したい」という心を、できるだけ「まなざし」に表すことにしている。大勢の聴衆(ちょうしゅう)の前で初めて話をし始めた時の筆者の気持ちはどれか()。A得意B不安C不満D後悔

单选题日本の相撲界で活躍している外国人力士のインタビュー(采访)を聞いた人は、かれらの日本語が完璧なのに驚くだろう。(ア)。日本語が上手な外国人は多いが、発音がいい人はめったにいない。どうしても外国人特有の発音になってしまう。ここに外国語習得の鍵がある。力士たちは日本語がまったくできない状態で来日するが、合宿(集训)の中で自然に日本語をマスターしていく。起きてから寝るまで日本語ばかりだ。かれらは衣食住そのすべてに日本が必要だ。日本語ができないとまったく生活できない。相撲が強くなるためにも日本語が必要だ。だから毎日周りの人全員を日本語の先生にして覚えていく。何と理想的な日本語習得の場であることか。教室での学習と違って、耳で覚えた日本語は本当に自然な日本語だ。子どもが自然に言葉を学習していくのと同じだと言える。(イ)、だれもがこのような理想的な環境を手に入れることはできない。ではどうしたらいいのか。日本留学は最も効果が上がる方法かもしれない。だが、だれでも工夫すれば条件をよくすることが可能だ。テープを繰り返し聞く。覚えて声に出して言う。実際に日本人と話してみる。これらは簡単なようで意外に難しい。しかし、これが実行できたら、日本語力がいっそう向上することは(ウ)。文中に「自然に日本語をマスターしていく」とあるが、その意味はどれか()A何もしなくても日本語が上手になることB学校に行かなくても日本語が上手になることC生活していくうちに日本語が上手になっていくことD子どものように遊んでいるうちに日本語が上手になっていくこと

单选题初めて人前で話をした時のことである。200人もの聴衆(ちょうしゅう)を相手に円説するということが、どんなに恐ろしいものか、壇上(讲台上)に立って初めて分かった。テーブルの上には原稿を広げていたし、それを見ながらしゃべり出していた。しかし、まるで雲に向かって話をしているような感じだった。わたしの話を理解してくれる人が得られるのだろうか。(ア)、話しているうちに、ふと()気づいた。会場のあちこちに、柔らかく光るものがあったのだ。その「光」は人の目であった。とたんに(瞬间)不安感は消えた。この「まなざし(目光)」を相手に、素直に(坦率地)話し続ければいいのだと思った。自分の声に自信が出るのを感じた。話をなんとか予定の時間どおりにすることができた。そして大きな拍手までいただいた。初めて力を与えてくれた何人かの「まなざし」は、相手を知ろう、理解しようという心の現われだったに違いない。その心によってわたしは守られた。飾りを捨てて、ありのまま自分を見せながら語ることができた。それで初めて聴衆の多くと心を通い合わせるチャンスを得たのだ。人は自分を分かってくれようとしている相手に対して、心を開くものだ。だから、相手に分かってもらいたければ、まず相手を分かろうとするところから出発すべきだろう。30分間の壇上の体験で、わたしは大切なことを学んだ。それ以来、どんな人にも「あなたを理解したい」という心を、できるだけ「まなざし」に表すことにしている。文中に「素直に話し」とあるが、どのように話すのか()。A広げた原稿を見ながらしゃべり出す。B原稿と会場を見ながら落ち着いて話す。C自分の声に自信がなくても話を続ける。D飾りを捨てて、ありのままの自分を見せながら語る。

单选题初めて人前で話をした時のことである。200人もの聴衆(ちょうしゅう)を相手に円説するということが、どんなに恐ろしいものか、壇上(讲台上)に立って初めて分かった。テーブルの上には原稿を広げていたし、それを見ながらしゃべり出していた。しかし、まるで雲に向かって話をしているような感じだった。わたしの話を理解してくれる人が得られるのだろうか。(ア)、話しているうちに、ふと()気づいた。会場のあちこちに、柔らかく光るものがあったのだ。その「光」は人の目であった。とたんに(瞬间)不安感は消えた。この「まなざし(目光)」を相手に、素直に(坦率地)話し続ければいいのだと思った。自分の声に自信が出るのを感じた。話をなんとか予定の時間どおりにすることができた。そして大きな拍手までいただいた。初めて力を与えてくれた何人かの「まなざし」は、相手を知ろう、理解しようという心の現われだったに違いない。その心によってわたしは守られた。飾りを捨てて、ありのまま自分を見せながら語ることができた。それで初めて聴衆の多くと心を通い合わせるチャンスを得たのだ。人は自分を分かってくれようとしている相手に対して、心を開くものだ。だから、相手に分かってもらいたければ、まず相手を分かろうとするところから出発すべきだろう。30分間の壇上の体験で、わたしは大切なことを学んだ。それ以来、どんな人にも「あなたを理解したい」という心を、できるだけ「まなざし」に表すことにしている。聴衆の「まなざし」を感じた時の筆者の気持ちはどれか()A安心B愉快C満足D感謝

单选题勉強、勉強といっても、ただ勉強する時間が多ければ良い()。効率の良い勉強方法を工夫しなければ良い成績にはつながらない。AきらいがあるBといったらないCというにはあたらないDというのもでもない

单选题実力テスト受けたがらない学生がいる。その理由を聞くと、「もう少し実力を付けてから受けたい」と言う。気持ちは分からないでもない。でも、そんなふうに思っていると、いつまでも受けられない。例えば、着物の着方を習っている人が、上手になったら着物を着て出かけようと思う。しかし、どの程度で上手になったと言えるのか、判断ができない。それよりもまず着物を着て出掛けてみるといい。(ア)、ちょっと緊張するような場所に。もし最後まで着崩れ(穿走样)しなければ、それで自信がつく。語学にしても、まずはレベルに合わせて使ってみることだ。笑われても気にしない。そうしているうちにレベルも上がってくる。料理も同様、(イ)。批判されながら腕(本领)を磨けばいいのだから。文中の「そうしているうちに」の意味はどれか()。A自信がないうちにB笑われても使ってみるうちにCむずかしい言い方に挑戦して見るうちにDレベルのことを気にしながら使ってみるうちに